「プリ」と「プリ」のお話
東北からやって来た六つの祭りパレード「東北六魂祭」に出かけ、招待者側の社員だから当然といえばそうなのだが、会場となったシントラ・ストリートで、みゆきの娘のプリシラに会った。
それは当然としても、祭りの終わったその日の夕刻、六本木ヒルズ、欅坂のイルミネーション前で再びプリシラに出会ったのは、これは偶然といわなければならないだろう。
偶然ではあっても、そしてそれに驚いている母と娘を見て、私にはなにかこうなるのが当たり前のように感じられた。
この母娘ならそうだろう、と。
それほどに強く結びついているふたりなのだ。
葉山と東京とに別れて暮らしていても、なにかあると、いや、なにもなくても、ふたりのあいだには頻繁にラインのやり取りが行われているし、プリシラも多くの休日には葉山にやってくる。
私とみゆきがまだ知り合ったばかりのころ、みゆきが手作りの料理をいくつかタッパーウェアに詰めて、六本木のプリシラのところに車で届け、深夜になって帰ってきたという話を聞いて、大いに驚いたものだった。
「だって、仕事が忙しくて満足に食事も摂れないっていうんですよ」
というが、この母娘にはそれが普通だったのだろう。
そんなふたりだから、私とのことをプリシラがどう思っているか、どう感じているか、みゆきは大いに気にしていたらしく、あるときうれしそうにいった。
「プリがね、これまでママがお付き合いしていたひとはみんな嫌いだったけど、テリーさんならいいわよっていってくれたの」
みんな!
私が笑うと、
「ひとりかふたりよ。あとは、私に近づいてくるひとたちってことよ」
慌てていい直すみゆきなのでした。
それはともかくとして、プリシラが私を、ママのパートナー、と認めてくれたことを、なによりも喜ぶみゆきをまた、なによりも喜ぶ私であった。
祭りから数日たった日に、プリシラが葉山にやって来た。
みゆきとプリシラは、誕生日が一日しか違わないのでふたりで合同のお誕生会をしましょうという、例年の行事なのだが、今年はそのお誕生会に異変が起こっていた。
というのは、みゆきの隣には、一緒に暮らしてはいないが私がいる。
そしてプリシラもひとりではなかった。
恋人というか、婚約者というか、同年の若い男性、ミナトくんと腕を組み合って来たのだ。
プリシラはカリフォルニアのハイスクールを卒業すると、母より一足早く日本に帰ってきて、大きな予備校の帰国子女専門の学部に入り、1年後に一流大学に現役入学した。
その予備校の同級生がミナトくんだった。ミナトくんも商社マンの父のもと、長い海外生活を送ってきている。
そして、もうひとつの一流大学に進み、いまはやはり超一流商社のエリート社員。
もちろん私も数回はミナトくんに会っているが、育ちのよさそうな好青年だ。
「プリとミナトがいま逗子に着いたって」
みゆきからの連絡を受け、私はプーリーを連れて出る。
砂浜を歩いてからゆっくりとみゆきの家に。
フェンスドアを開けて庭に入ると、待っていたかのように玄関からプリシラが出てきた。
「わぁ、プーちゃん!」
広げたプリシラの腕に、プーリーは一目散に走っていく。
数多くは会っていないが、プーリーはもうすっかりプリシラに懐いている。
中からみゆきとミナトくんも出てきて、スーちゃんも出てきて、庭はたちまち賑やかな社交の場に変わった。
プリシラは、みゆきやミナトくんに「プリ」「プリちゃん」と呼ばれている。
うちのプーリーは「プリ」「プーちゃん」。
一緒に浜などを歩いているとき、プーリーがリードをぐいぐい引っ張ったり、よその犬に吠えかかったりして、私が、
「こら! プリ!」
と叱ると、そのたびにプリシラがびくっとする。
それに気づいて、プリシラがいるときには「プリ」ではなく「プー」と呼ぶようにしようとすれと、プリシラはいう。
「わたしも子供のころ、「プー」って呼ばれてたの」
どうしましょうか。
その夜、4人で「やまねこ」に行った。
山根佐枝さんから、
「星子ヌーボーが解禁になったからいらっしゃいませんか」
との誘いがあり、いい機会だからと出かけたのだ。
「星子」とは、いってみれば「洋風梅酒」。梅酒というよりリカー、リキュールのほうが正しい飲み口で、幾種かのスパイスが効いて、甘くて爽やかで女性向きに思えるが、実は強いという、ユニークな酒。
私はちょっと敬遠してワインを飲んでいたが、酒が強くないミナトくんなど、赤い顔で気持ちよさそうだった。
「やまねこ」は早々と切り上げ、みゆきの家に引き返して、ちらし寿司パーティ。
お誕生会のためにみゆきが昼間から作っていた特製ディナー。
和やかで家庭的なときが過ぎ、私は帰った。
「プリ」におやすみをして「プリ」の待つ部屋に。