ヤンキーな夏が逝った

森戸海岸の海開きは、7月5日だった。

ヤンキーな夏が逝ったその数日前から、わが部屋の前の浜に広い能舞台のような床が敷き詰められ、それにぽんぽんと柱が建てられたと思うと、あっという間に板張り、ところどころにアクリルの光取りの窓といった屋根天井が張られ、7月4日の夕方にはなかなか立派な海の家が完成した、見に行くと“NOA・NOA”の木製看板が揺れていた。

そのころには暑さを避けて早朝と夕方、2回の散歩を日課としていた私とプーリーとドゥージーは、5日のオープンから早速“NOA・NOA”の門をくぐった。いや、門などあるはずもないから、2段だけの階段を上がった。

20畳くらいかな。白いガーデン用のテーブルが6つ、セットの椅子が、そうだな、20客くらいだろうか、広がっている。

入った右側に短いカウンター。奥の棚に、ラムだのテキーラだの南っぽい酒のボトルが並べられ、シャンパンもあった。カウンターの奥にキッチンらしい小部屋があり、その隣、つまり店の奥に“SHAWER”と書かれた部屋があるが、もちろん中は見えない。当たり前か。

そんな中に、おそろいのTシャツ姿のなぜか屈強な男たち、それに同じシャツの若い女性が数人。スタッフらしい。

客はスタッフより少なく、ふたつのテーブルに全部で5、6人。しかも中の3人は水着姿の若い女性、というかチョイケバ化粧のお姉ちゃんたち。

お姉ちゃんたちはカウンター近くのテーブルに坐ってスタッフたちとタメ口でおしゃべりしている。客というより仲間たちといった感じだった。

ヤンキーな夏が逝った昨年まで親しんだ一色海岸の“ウミゴヤ”とはかなりかけ離れた雰囲気にいくらか躊躇したが、前まで来ているのだからしょうがない。プーリー、ドゥージーもどんどん入り込もうとしている。

入る前に、

「犬もいいですか」

声をかけると、スタッフの2、3人が声をそろえて、

「どうぞ、どうぞ」

案外いい店かな、と思う私は、単純というか、案外いいやつかもしれない。

適当なテーブルに着き、さて、と周囲を見回している間もなく、男性スタッフのひとりが大きめなボウルに水をいっぱい張って、足元に置いてくれる。

プーリー、ドゥージーも当然のように、お礼もいわず、ボウルに顔を突っ込んでしぶきをまき散らす。

そして次の瞬間だ。

カウンターの前のテーブルにいた3人のお姉ちゃんが、奇声を上げて襲ってきたのだった。

彼女たちの目的は私ではなく、プーリーとドゥージー。

「キャー、カッワイイ!」

「可愛すぎーっ!」

ヤンキーな夏が逝ったお姉ちゃんズに囲まれ、ドゥージーはびっくりして私の脚にしがみつき、プーリーは反射的に喜んでお姉ちゃんズに体当たり。顔を舐めにかかったり、胸元に手を掛けたり、水着の下半身に頭を押し付けたりの大騒ぎ。いいなぁ。

こうした嵐のような数分間が過ぎ、ようやく生ビールを注文できたのだが、しばらく過ごした“NOA・NOA”は私に不快な印象を残さなかった。

スタッフたちもお姉ちゃんズも必ずしも上品とはいい難いが、それもかえって海の家らしい雰囲気を出している。一色の海が特別気取っていたといえるかもしれない。

その日から毎日毎日、私たちは“NOA・NOA”で夕刻のひとときを過ごすようになった。7月5日から8月31日のクローズまで、“NOA・NOA”しなかったのは梅雨の最後の大雨のとき。花火大会のため2匹をペットホテルに避難させた2日間。それに台風が吹き荒れて外出もできなかったあの夜。この4日だけで、まず皆勤賞といえるだろう。よく頑張りました。

スタッフたちは相変わらずこわもてだし、顔ぶれは変わっても、3日と開けずにやってくるお姉ちゃんズもみんなケバクもキャバイが、話してみると本当は気立てのいい兄貴たち。実は寂しい心の女の子たちじゃないか、と思えるようになったのは、私が彼らに取り込まれたのかな。

何日かたった日、ショーちゃんと呼ばれる40ちょっと過ぎのスタッフが、いいですか、と私のテーブルに自分の飲み物を手にやってきた。

話をしてみると、このショーちゃんがここ“NOA・NOA”のオーナーで、ちょっと離れたところで建築関係の会社を経営しているという。スタッフたちはその会社の社員であったり、ショーちゃんの会社の近くの中古車屋、運動具や、飲食店主などで、みんなそれぞれの本業があるので空いたときに“NOA・NOA”に出勤するという。だからスタッフは総勢30人はいるそうだ。

「みんな昔からの仲間たちですよ」

ショーちゃんはいう。

「ヤンキー仲間です」

中のひとりはキャバクラの共同経営者で、その関係から店の女の子も集まってくる。

そういわれて“NOA・NOA”の特殊な雰囲気のわけがわかった。こういうの、嫌いではない。

 

ヤンキーな夏が逝った「“NOA・NOA”ってどういう意味?」

私は尋ねた。ハワイの言葉か何かかと思っていたのだが,ショーちゃんはこともなげにいった。

「ぼくの娘がノアというんです。いま中2で」

ふーんと頷いてから、私はうっかりつぶやいた。

「フランス語でなくてよかったね」

ショーちゃんは、当然のように、
「どうしてですか」

と聞き返すが、私としては、

「あまりいい意味ではないから」

曖昧にする以外にない。ショーちゃんもそれ以上聞き返さなくてよかった。

 

“ノア”という発音をフランス語で書くと、“MOI(モア)”の例から“NOI”となるだろうが、フランス語にそうした単語はない。あえて探すと“NOIE(ノア)”となるが、この“NOIE”は独立した単語ではなく活用形。原型は“NOYER(ノワイエ)”。

この“NOYER”がよろしくない。

なんとこの言葉の意味は、

「溺れる。溺れさせる。」

海の家にこれほどまずいネーミングはないだろう。

 

それをいっちゃおしまいよ、と口を閉ざした私だったが、しばらくしてからいいフォローを思いついて、ショーちゃんにいった。

「でもなにもフランス語にする必要はないよね。英語にこんな言葉がある。

NOAH’S ARK(ノアズアーク)

そう“ノアの方舟”。

“NOA・NOA”は“ノアの方舟”だね」

いろんな生き物を救う。モトヤン(元ヤンキー)もキャバ嬢も、といいかけてやめた。

 

“NOA・NOA”がいなくなってもう10日か。不思議なぽっかり感が残っている。

1年間“NOA・NOA”を心に残しておき、来年の夏にもう一度観察し、考えて、1本の長編小説に仕立てようか。

『森戸海岸・ヤンキーな夏が逝く』

爽やかで寂しい恋物語になりそうだ。

 

ヤンキーな夏が逝った

 

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