浜辺の上の白い部屋

このタイトル写真の光景は、いま私が暮らしているワンルームマンションのベランダからの眺め。

左に森戸神社から続く裕次郎灯台と海上鳥居。

右に目を転じれば、こんもりとした江の島と片瀬のリゾートマンションの群れと、手前には逗子マリーナ。

その江の島と森戸神社の広いあいだには相模湾が広大に広がり、この写真では霞んでいるが、真正面に富士山が浮かび上がる。

富士の手前の低い箱根の山々から、左に長々と続くのは伊豆半島。伊豆の山々。伊豆半島がようやく途切れたさらに左には、空気が澄んでいれば伊豆大島が浮かび上がっているはずだ。

このできすぎたほどの眺めは、私の部屋からのが一番で、森戸海岸そのものがゆったりと弧を描いているために、場所によって景観は大きく違っている。

真正面に富士、は私の部屋からしかない。左右ひと窓ずれただけでもこの眺めはどちらかに歪んで見えるのだ。

だから私は、この部屋を選んだ。

移ってきたのが昨年のクリスマスの数日前のことだから、もう1カ月余りたっている。

 

葉山にやってきたのが2010の11月だったので、葉山にはまだ3年と少ししかいないわけだが、そしてその3年間住んでいた家を、私は「サヤマのゴヨーテー」と自慢げに話したり書いたりした。私としたらひとつの理想を叶えたともいえる家だったのだが、それほどの住まいをなぜ短期間で引き払うことになったのか。

そのことについて書いた、いや、書こうとしたのが昨年秋からこの場所で始めた『この1年』とタイトルした文章だった。

タイトル通り、さらに約1年前からのさまざまなできごとを、10回ほどの文章につづり、この森戸海岸での新しい生活へとつなげるつもりだったが、結局はわずか数回で筆を措いてしまうことになった。

そこには私の生来のさぼり癖、怠け心も当然あったろうが、それよりもなによりも、未紗の身の上の起こった大きな異変と、そのことについて書くことへの息苦しさがあったのだ。書きながら、書いていることを後悔する。

そしてその苦しさに耐えられず、書くことをやめた。

いまもなお、少しの苦しさはあるものの、そのいきさつを大まかに振り返ってみるなら。

 

数年、あるいは10年ほど前からその気配はいくらかあったものの、はっきりと表れたのは1年余り前の、トラブル続きのパリ滞在。私たちにとって幾番目かの故郷ともいえるパリの街で、未紗の異変はあからさまになった。

ようやく日本に帰って間もなく、未紗の転倒骨折。運び込まれての手術と入院。

3週間のちの転院。リハビリ入院の3カ月。

骨折の脚は少しずつよくはなったが、その代わりメンタルの混濁は日に日に進行していた。病室に私の姿が見えないと、ベッドから落ちるように降りて、歩けない脚で自宅に帰ろうとする。

私も毎日病室に詰めていたが、夜には帰る。2匹の犬が待っているのだ。

未紗のあまりの可哀そうさに半ば強引に退院、自宅療養。

私の努力と献身でなんとかできると思っていたのだが、週に3日のリハビリ、デイケア通所の送迎。週2日の訪問介護。自宅に帰ってきても、瞬時も目が離せない。想像を絶する日々が続いた。

いまや社会問題にもなっている“老老介護”が私たちの上にも襲いかかってきたのだったが、ついには介護する私が過労で倒れ、ホームドクターが駆けつけてくれる騒ぎにまでなった。

そして、医師たちとも相談し、未紗はその種の施設に入ることになり、いくつもの施設を調べ、同じ葉山の森戸海岸近くにある施設が最高だと知った。

だが、最高であるだけに待機者の数は多く、早くても3年待ち、といわれ、いったんは諦めた。

しかし、全国に展開するその施設ばかりか、いくつも関連事業でもトップに立っている、いまは参議院議員となった創業者と私との、遠い昔のあるかないかの関わりを私が口にしたのが功を奏したのか、ウエイティングリストに登録して1カ月もしないうちに、7月頭からご入居いただけます、との連絡があった。

想定外のあわただしさの中、いくつかのキャビネットやテレビなどと共に未紗は施設に入った。

ゴヨーテーからは車で15分。ここでも私は毎日施設に通った。

 

ひとりと2匹の、ゴヨーテーでの時間。

未紗はいま、どうしているかと思う時間。

深夜2階の寝室から出て、階段上の吹き抜けから見降ろすと、広いリビングルームの床のクッションに2匹の犬が抱き合って眠っている。あんなに喧嘩ばかりしていたのに。

未紗の近くに移ろう。

そう思い、新しい住まいを探し始めたばかりのころ、全くの偶然から、森戸海岸のまさに浜に面したワンルームマンションが、インターネットを通じて飛び込んできた。

2日のちに契約した。

 

以前ホテルでもあった古いワンルームを、いわゆるスケルトン、内部のすべてを取り払い、コンクリートの箱にしたうえで新しく作り直す。リフォームではなくリノベーション。2か月かかった。

新しい部屋については、次回詳しく書こうと思うが、“サヤマのゴヨーテー”に続くここは、“浜辺の上の白い部屋”(ラ・シャンブル・ブラン・シュル・ラ・プラージュ)。

73歳と半年。私はまた新しくなる。