ホイリゲな夜

ウィーンには2回しか行っていない。

最初は目的がザルツブルクだったので、ウィーンには2泊しかしなかったが、次の2週間の滞在も、内容はまったくの観光客。

未紗とふたり。ふたりともドイツ語ができないので、英語のガイドブック片手に、毎日毎日せっせと有名観光地を見て回った。

ホイリゲな夜シェーンブルク宮殿、ベルベデーレ宮殿など、ハプスブルク家ゆかりの名所。

シシィの名で知られる美貌の皇妃エリザベート名残の品々が飾られた記念館。

考古学美術館をはじめとしていくつもの美術館。クリムト、エゴン・シェーレ。

シュテファン教会そばのモーツアルト記念館。

そのモーツアルトも眠るといわれている街はずれの広大な墓地の、映画「第3の男」でアリダ・バリがひとり歩いたあの並木道も、未紗と歩いた。

いま思い出しても恥ずかしくなるような、完全なるお上りさん。フランスやイタリアでのように、地元のひとたちの中に入って、地元のひとのように暮らすといった日々には遠い2週間だった。

だが、そんな不満の残る旅の中で、唯一といってもいい、満足できる思い出が、ウィーン郊外の小さな町を訪れた日のことだった。

ベートーヴェンが「第9交響曲」を書いたという小さな家を訪ね、広い葡萄畑で道に迷い、ようやくたどり着いたのが、ホイリゲと呼ばれる居酒屋というかワイナリーというか。そうか。ビアホールならぬワインホールといえばいいのか。そんな店だった。

その広い庭に広がるオープンなテーブルで、地のワインを飲み、ハムを食べ、パンをむしった。

ウィーンの思い出の中で、忘れられないひとときであった。

 

ホイリゲな夜なぜこのような古い話を蒸し返したかというと、そのホイリゲに行ってきたからだ。

ウィーンに行ってきたわけではない。バスで15分。逗子駅近くの逗子文化プラザ。その、さざなみホールで「Heurige(ホイリゲ)パーティ」なる企画。そこに招待された。

「ホイリゲって、今年の、という意味なんですけど、ホイリゲ・パーティといえば、新酒を飲む集まり、さらには、時期にこだわらずワインを飲む場所。ワイン専門の居酒屋のことをいいます。テリーさんがいらしたのも、秋ではなかったでしょう」

バスの中で教えてくれたのは、このところ3回続けて登場願っているプローみゆきさん。

スイス人の父を持ち、ウィーンが第2の故郷というみゆきさんは、この日のパーティにはまたとない強い味方だ。パーティのあいだ、私はみゆきさんのうしろに隠れているかもしれない。なにしろ気が小さいもので。

 

私たちが入ったときには、ステージのついた広いホールにはすでに100人ほどのひとが揃っていた。

縦5列に並べられたテーブルに、それぞれが向き合って坐る着席スタイル。私とみゆきさんにも向き合った席が用意されていたが、横に並ぶように変えてもらった。みゆきさんにはいろいろ解説してもらわなければならない。

このパーティは逗子に本店を持つワインショップ「Aday」の松尾さんの企画によるもので、ウィーンに長らく続くワイナリー、ワイングート・ツァーヘルから4代目当主、アレキサンダー・ツァーヘル氏が招かれている。

そのツアーヘル氏の挨拶から始まったパーティでは、白、赤のワインが次々とグラスに注がれ、招待客たちの会話がさざ波のようにひろがる。

 

ホイリゲな夜ワインはもちろんウィーンのもので、ゲミシュター・ザッツという、幾種かの葡萄をブレンドした独特の製法。混植混醸、というそうだ。フランスものともイタリアものとも違い、新鮮だが、軽過ぎず、重過ぎず、渋過ぎない。いってみれば、大人の味か。ことに白は、甘いドイツワインを予想していたが、驚くほど爽やか。といって、シャブリのお澄ましとは違って、これはむしろ肉料理に合うようだ。

隣の紳士も同じ感想を述べていた。お主、なかなかやるな。

テーブルには食事も並べられていたが、料理というよりおつまみ。ビーフのパテ。卵のスプレッド。ポテトのチーズ寄せにパン。割り箸が添えられているのが微笑ましい。

 

若い客は少ない。夫婦連れが多いようだが、中には見た顔のひともいる。

あの方は××さん。あちらのご夫婦は○○さん。

みゆきさんが教えてくれる。

逗子、葉山に住むワイン好き、音楽好き、オペラ好き。そんなひとたちだそうだ。さすが湘南、といいたいが、東京からわざわざやってきたひともいるという。

それにしても、葉山歴3年のみゆきさんのなんという人脈の広さ。質の高さ。

そのみゆきさんがいう。

「今夜はオペラの夕べでもあるので、テリーさんにオペラの解説をお願いしようと思っているんですよ」

また~。プレッシャーをかけるんだから。

 

ホイリゲな夜というわけで、パーティ半ばから、広間にはオペラの曲が流れる。

ピアノ・鈴木架哉子

ソプラノ・村瀬美和

曲は当然オーストリア。

モーツアルトが主でレハールも続く。

軽いソプラノがいくつか流れ、そしてこの夜の真打、川上敦が登場。

白いタキシード姿のこのひと、プロのオペラ歌手ではない。本業は金融業だが、サンデー・バリトンとしてオペラを中心に活動している、いわばディレッタント。湘南でのこうした集いには欠かせないひとだ。

だからこのステージは、川上敦とその仲間、と名付けられている。

その川上さん、アマチュアっぽく少々照れながらも、歌い、踊る。

やはりモーツアルトが中心で、「フィガロの結婚」から3曲、「ドン・ジョバンニ」からも3曲。

「フィガロ」では、好色な領主がコケティシュな小間使いスザンナに手を出そうとして逆にからかわれる場面。

「ジョバンニ」では、色事師のジョバンニが村娘ツェルリーナの手を出して肘鉄を食らう場面。

共にモーツアルト得意のコメディ・リリーフだが、これを川上敦と村瀬美和が歌い、踊る。

「スザンナもツェルリーナも小さな脇役だけど、若いソプラノの登竜門、試金石として大事な役です。マリア・カラスもこの役から飛び立ったといわれています」

よかった。みゆきさん相手に少し知ったかぶりができて。

みゆきさんも、当然知っているはずなのに、そうなんですか、と、気を使ってくれている。

ステージを終えて降りてきた川上敦さんにいわれた。

「佐山さんになんと書かれるか心配ですよ」

このひともプレッシャーをかけてくる。

 

パーティのフィナーレは、ピアノによる「ラデツキー行進曲。ヨハン・シュトラウス1世の、珍しくワルツでない曲。というより、ウィーンのテーマ曲といってもいい曲で、ウィーンでのほとんどのコンサートで結びの1曲として演奏される。

クラシック音楽ではまずありえない手拍子が、ホールいっぱいに広がる。

「オーストリアに占領されていた時代のイタリアに独立運動が起こって、それを鎮圧したのがラデツキー将軍です。その栄誉をたたえて作られたのがこの曲で、オーストリアの国民曲ともいえますね」

知ったかぶりをしてからはっと気づいた。このことならみゆきさんのほうが、はるかに詳しいはずではないか。

焦った私は、

「イタリアにとっては屈辱だったはずのこの曲を、いまではイタリアでも好んで演奏されていますね。日本の隣のどこかの国では、考えられない話でしょうが」

さらに余計なことを口走ってしまう。恥の上塗り。

みゆきさんは笑顔で聞き流してくれた。

 

楽しい夕べでした。

「今日はウィーンに行ってきたよ」

帰って、未紗の写真に報告した。

 

ホイリゲな夜


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