おしゃべりな部屋で
なんの変りもない日が続いている。
未紗が逝ってから約2か月、ほとんど同じときの流れだ。
ということは、前回も書いたように、なにもしない毎日ということ。
ちょっとした買い物で、週に1回ほどすぐ近くのコンビニやスーパーに行くこともあるが、それ以外の時間はまず部屋にいる。
部屋で、毎日ほとんどなにかやっているテレビのスポーツ中継を眺めていることが多いか。
以前は目的を持って観ていたスポーツ中継だったが、いまはスポーツならなんでもいい、という感じ。つまりそれほど本気で観てはいない。
いろんなスポーツがあるものだな、と改めて思う。
この2カ月、なにを観ていただろうか。
朝はBS放送でメジャーリーグの野球。岩隈のノーヒット・ノーランも、上原の手首骨折のシーンも見た。
アメリカ各地で開催されているゴルフ・ツアーも、佐渡充孝や田中泰次郎といった懐かしい若い仲間の解説で観る。
昼間は、ツール・ド・フランス、世界トライアスロン、大相撲もあったし、夜は日本のプロ野球。そうだ、世界水泳もあったし、中国では卓球が行われた。
8月になっては、高校野球。これは、甲子園の前の神奈川大会、関東各地の試合から観ていた、というより、テレビをつけっぱなしにしていた。
テレビの上のシェルフには、未紗の祭壇があるので、テレビを見ながら未紗を見ていた。むしろ未紗に目を向けていることのほうが多い。
未紗を見ながら、いろいろと話しかけている。
テーマとか話題があるような話ではない。
例えばMLBの試合がヤンキース・スタジアムで行われていれば、
「この球場には何回も見に行ったね。松井がすぐ近くまで走ってきたこともあったね。でも、あの球場とここは違うんだよ。すぐそばに新しい球場ができたんだよ。新しいところにも行きたかったね」
ね、未紗、と話しかける。
ゴルフ・ツアーでサン・ディエゴのコースが映し出されると、
「このコース、行ったことがあるな。パブリック・コースなんで、ものすごく混んでいて、結局9ホールしか回れなかったけど、風のきつい面白いコースだったね。未紗がレギュラー・ティから回っていて、係員に赤ティからどうぞって注意されたりした。覚えているかな。そういえば、サン・ディエゴの高級リゾートの街、ラ・ホーヤに住もうかって本気で考えたこともあったな。いまの葉山にちょっと雰囲気が似ているかな」
話が飛ぶ。
こんなわけだから、いい加減に眺めているテレビからでも話題は尽きることがない。
これは、もし誰かがこの部屋にいたとして、未紗の声は聞こえないはずだから、かなり不気味な状況ではないだろうか。
こんな時間帯、プーリーとドゥージーはほとんど私と同じソファベッドで、私の両側か、くっ付いて片側。そうでなければどちらかが膝の上で、のうのうと眠っている。彼らには、未紗の声が聞こえているのかもしれない。
こんな私の毎日。どういえばいいのだろうか。
悠々とした隠居生活?
孤独な独居老人?
いや、引きこもり。これがぴったりかもしれない。
一日中、まず誰とも話さない。電話はほとんどかかってこないし、かかってきても登録していないものには出ない。私からかけるのは、酒屋へのビールか、和洋のファミレスへの、アンガスビーフ・ディナーセットやなんとか御膳の注文。そんなことだけだ。
この引きこもり老人が、唯一動き出すのは、夕方近く、そろそろ涼しくなったころにやってくる山口さん。前回紹介したペットシッター兼私の孤独死対策見張り役。
山口さんは日に何件、何匹もの犬を抱えているのであまり時間はない。
私と山口さんとで2匹の犬を連れて早速浜に出る。
この時間、まだまだ海水浴客は残っているが、もう彼らの時間ではない。われわれと犬たちのときだ。
森戸海岸を端から端まで歩くうちに何人もの顔見知り、何匹もの犬見知りに会い、言葉を交わし、犬を交わし。
そして散歩のおしまいは、海の家・NOANOA。プーリーとドゥージーに引っ張られて入っていく私たちに、なにもいわずとも大きなボウルの犬水と生ビールが出てくる。グループ客などで混んでいるときには、予約席の札と共に1席用意されている。この常連扱いの気分のよさ。
最近は、私のためだけらしい新たなメニューが加わった。
このNOANOAの店長格に、ゴリさんという男性がいるが、このひと、なかなかの料理自慢、アイディア自慢で、その日にある材料を使って、海の家とは思えない一皿を作って出してくれる。
それは、もやし、チャーシュー、くらげ、ニンジンなどをバルサミコで合えた洋風ナムルだったり、モロヘイヤとオクラ、モズクなどで温泉卵を包んだ“美容と健康”ディッシュだったりの日替わり。
夕方になると懸命に考えてくれているんだろうな。
この特別料理、オリジナル・ディッシュを、私はゴリさんにリスペクトして“ゴリジナル”と名付けた。
この、散歩とNOANOAでの、合わせて2時間ほどが、私の1日の“黄金のとき”ともいえる。
先週のある日、こうした黄金のときを過ごしていると、突然大きな音量の日本民謡の調べが流れてきた。
そうだった。この日は森戸海岸の盆踊りの夕べ。
身体を傾けて見ると、少し離れたところの浜に多くの提灯が、広い1画を囲んでいま点灯されたようだ。
まだ明るいのに早くも踊りだしているひとたち。中には水着姿の女性も、子供の姿もある。
しばらく音だけで過ごし、ビールを重ねた後、犬たちのトイレの限界も察したので、NOANOAを出て踊りの輪に近づいてみた。
そのころにはもう黄昏どきにかかっていたので,踊りの向こうに暗い海。その海になにかの光が映えて、幻想的な眺めにもなっている。
民謡は、月が出た出た、や、めでためでたの若松さま。聞いたことのある歌、有名な歌のオンパレード。
チョチョンがチョイ、のお約束の合いの手もすっかり耳になじんだ。
数曲のあいだに「葉山音頭」というのが必ず挟まれる。回数が一番多いので、しばらくの間の耳になじんでしまった。
「富士のお山を波間にうーかーべ」はい、チョチョンがチョイ。
盆踊りを眺めているうちに、なにかを感じた。感じたような気になった。
そういえば、いまが未紗の新盆ではないか。
新盆には、盆踊りの歌と踊りに迎えられて、死者の霊が帰ってくる。
未紗はこの盆踊りの輪の上に、いま、帰ってきているのだろうか。
しばらく、動けなかった。