海に還った未紗
海は重い梅雨空に覆われていた。
こうしてクルーザーの操舵室に立ち、ステアリング握るのは、本当に久しぶりだ。まだ豊洲の高層マンションに住んでいたころだから、もう6年も前のことだ。
あのころ、ディズニーランドに近い浦安のマリーナから東京湾に向かって出向する私のクルーザーには、ほとんどのとき、未紗も同乗していた。
そしていま、葉山マリーナから沖に向かって進むこの船にも、未紗は一緒に乗っている。
白い粉になって。
ここから先のことは、もう書けない。
いくつかの写真を見て、わかってほしい。
未紗は、葉山沖の水深数百メートル。深い海に還っていった。
だが、未紗はいなくなったのではない。
私の心の中に、ずっとい続けてくれている。綺麗な、素晴らしい思い出として。
未紗を海に還した日の夕方、葉山にいくつかある小高い山のひとつ。その麓近くに小さく広がる棚田に出かけた。
梅雨のこの時期、棚田には多くのホタルが舞うという。
ぬかるんだあぜ道を恐るおそる歩き、棚田の中ほどにある小さな休み小屋に坐って、ホタルを待った。
死者の魂は、ホタルになって戻ってきてくれる、ともいう。
未紗が逝った翌日が、私の誕生日だった。
その誕生日がまたやってきて、私は76歳になった。
なにかが終わったのか。
なにかが始まろうとしているのか。
私は、まだまだ生き続けるのだろうか。