春が来たのに
本格的な春を迎えて、私の日常が大きく動いている。
独居老人にも日常生活はあるわけで、そこには必ずあるルーティンが存在する。
例えば私の場合、朝9時にペットシッターの山口治美さんが迎えに来てくれて、プーリーとドゥージーを連れて浜に出る。1時間ほど歩いて部屋に帰り、2匹に朝ごはんを与えて、それからのしばらくが私の時間。
テレビを見たり、映画を観たり、本を読んだり、インターネットに向かったり、ときには所要や買い物などで出かける。
外出したときでも、まず3時半には帰ってくるのは、4時前に再び治美さんが来るから、というのが私のルーティンのあらましだった。
だが、ここのところこのルーティンが大きく狂っている。
これは、老人にとってはかなり問題なのだ。
まず、治美さんが足を骨折して来られなくなった話は前回伝えたが、大変だ、大変だ、と思っていたこの出来事は、なんとか解決した。
治美さんの娘のリサさんや、葉山のアイドルのような若い女性、ユイちゃんなどが治美さんの指導を受けてペットシッティングの代役を務めてくれたから、私たち飼い主たちはほとんど迷惑を受けることはなかった。
もうひとつの異変は、プローみゆきさんがいなくなったこと。
引っ越しちゃったとか、どこかから帰ってこない、ということではなく、みゆきさんにとっては大事な仕事のひとつで、2週間余り日本全国を旅して歩くという激務にはいってしまったのだ。
いままさにこのときも、日本のどこかで行われているコンサート。
ウィーン・フィルハーモニーを中心とする楽団が、トヨタの招待で来日し、各地で大小のコンサート、演奏会を開催する。
団員の全員がオーストリア、ドイツなどのヨーロッパ人なので、十数年前からみゆきさんが通訳、アテンダント、お世話係、相談役、調整役としての多面的な役割を演じ続けている。
ゆきさんがまだアメリカに住んでいたときも、わざわざ日本に呼ばれていたのだから、いかに重要視されていたかがわかる。
ドイツ語が話せるだけでなく、音楽に関する造詣も、もちろんプロのピアニストなのだから申し分なく、その上人格的にもすべてのひとに慕われ、頼られているみゆきさんだからいえることなのだ。
そして、なによりも美しく、可愛さもある。
だからこのツアーは、みゆきさんにとってもウィーンフィルにとっても、全国の音楽ファンにとっても、すべていいことなのだが、葉山のひとたちにとってはかなり寂しい期間ではある。
私に関していえば、みゆきさんとは毎日会っていた。
浜で犬を連れて歩いているとき、すれ違ったり、立ち話をしたり、ときには並んで歩いたりするのはもちろんだが、夕方の散歩のあとエスメラルダで早い夕食をすることも多い。
冬の寒い夕刻、エスメラルダの寒風吹きすさぶテラスで、うちの2匹とみゆきさんのスーちゃんを侍らせて食事をし、ワイン、ビールをする私たちの姿は、近所のひとたちにとってすっかりお馴染みになっているはずだ。
そのみゆきさんが、2週間余りもいない。あーあ。
エスメラルダついでにもうひとつの重大な出来事。
春を迎えて大切なこのときに、エスメラルダが、なんと数日間の休業にはいってしまったのだ。
店内の改装とかなんとかいっていたが、実は矢ケ崎オーナー、ゴルフ旅行に出かけたかっただけではないか、と私は読んでいる。
というわけで、夕方の散歩のあとの私のルーティンは目茶目茶になり、いま私は、早い夜から自室で2匹を横にひとりビールを飲み続けている。
エスメラルダについて、癪だがもう少し話そうか。
いつも私たちがテラスのテーブルにつくと、店のひとはなにも注文を聞かずに料理を運んでくる。みゆきさんやほかのひとには飲み物を聞きはするが、私には「黙ってビール」。
料理は毎回違っていて、何種類かのメニューが大きな皿に盛られていたり、あるいはいくつかの小皿に分けられていたり。
いわゆるお任せメニューなのだが、矢ケ崎オーナーなり店長の麻美子さんなりのアイディア。その日ある食材をさまざまに工夫し、なにしろ毎日のことなのでダブリ、繰り返しがないように、頭を悩ませているようだ。
この料理、名付けて、
「テリーズ・スペシャル」
というのだそうだ。
「残り物、余りものを組み合わせているんじゃないの」
という私の憎まれ口は、もちろん冗談ですよ。感謝してます。
その証拠に、ありがたく撮らせてもらった「テリーズ・スペシャル」の数々をご覧いただきましょう。
というわけで、みゆきさんもいない。エスメラルダも閉まっている。
私とうちの犬たち、いま、寂しい。