秋の墓参

ダウンコートにぐるぐる巻きのマフラーが必要なほどの日があるかと思えば、薄いシャツ一枚でもいい日がある。

身体の調子が狂いそうな季節の中に、青空に鰯雲。ほんわかとあたたかい、まさに小春日和といえる1日があった。

「今日こそお寺ね。付き合ってくれる?」

みゆきさんに誘われて鎌倉までのドライブ。

いつものような食事や音楽、ではなく、この日は少し肩に力の入った「墓参り」だった。

海岸通りから滑川信号で右折して大宮大路をまっすぐ上がる。

途中で車を路肩に止め、みゆきさんが降りて、小さな花屋に寄る。

いくつかの鳥居を潜り抜け、突き当りを右へ。

道は急に細くなるが、それでもバス通り。この先にいくつもの名刹が続いているはずだ。

「どこを入るんだったかな」

幾度か来たことがあるが、大昔のことなので思い出せない。

「もう少し先を左に入るんだったわね」

つい半年前に来たはずのみゆきさんも、心もとないようす。

「もう一回、ちょっと止めて」

小さな商店の前の小さなスペースに車を止め、みゆきさんがカーナビを操作する。ほとんどナビを利用しない私より、よほど達者だ。

「ああ、あった」

みゆきさんが頷くのとほとんど同時に、カーナビが始まった。

「およそ300メートル先を左です」

ほっとして走り出した私たちだが、その左折した道のなんと細いこと。

本当に車の道なのか。しかも一方通行でもないのか。

少しでもハンドルを誤ると、右に連なる用水路に落ちてしまいそうだ。

ゆっくり進んでいくうちに、小さな案内標識が現れた。

『瑞泉寺入口』

道はそこから先、さらに細くなり、両側をこすらないように注意して行く。

 

瑞泉寺。

鎌倉の昔から続く由緒あるこの寺に、みゆきさんの先祖の墓がある。

といっても、みゆきさんの父親はスイス人なので、この墓に眠るのはみゆきさんの母親の母。おばあちゃんだ。

 

100段もある急な石段を上がる。みゆきさんはすいすい足を運ぶが、今日も二日酔い気味の私にはかなりきつい。幾度も立ち止まっては呼吸を整えなければならなかった。

ようやく広い墓所に出て、しばらく進み、

「このお墓よ」

黄色味を帯びた墓石に、

T家

の文字が。
「わたし、日本の苗字を持ったことがないの。生まれてからずっと「エッガーみゆき」だったし。結婚してからは「プローみゆき」。離婚してからも「プロー」のままだから、ここにきて「T」の姓を見ると不思議な気になるの。懐かしいような」

と話しながら、みゆきさんは慣れたようすで墓石を洗い、雑草を抜き、社務所で受け取ってきた線香を供える。

手持ち無沙汰に立っている私だったが、みゆきさんが両手を合わせると、自然にそのうしろに立つ。

秋空の下、みゆきさんは祈り続ける。

なにを祈っているのか。

祈りの中、報告の中に、私のことは入っているのだろうか。

そして、

お自分のおばあちゃんの墓に向かうみゆきさんの傍に立つ私は、いったいどのような立場なのか。

 

墓参りを終え、広い境内の一隅にある小さな東屋の石のベンチに座り、私たちは秋の瑞泉寺を味わっていた。

「おばあちゃんにはずいぶん可愛がられたのよ。父はすごく厳しかったし、母は父がすべてのひとだったから、わたしはおばあちゃんだけに甘えていたわ」

遠くに目をやったまま、みゆきさんは静かに話す。

横顔が、美しい。

そのおばあちゃんがいくつで亡くなった、という話から、話題は年齢のことになった。

「ぼくはね、いま76歳なんだよ」

「知ってるわよ。そんなこと」

「来年、77歳」

「そうでしょうね」

「77歳ってことは、キジュだよ」

「キジュ?」

「喜ぶことぶき、のキジュ」

「そうか」

「喜ぶという字の、もうひとつの書き方に「七」が三つ重なる字がある。だから77歳は喜寿」

「そうね」

「そんな喜寿の男が、爺さんが、結婚する、といったらおかしい?」

「おかしくないわよ。格好いいと思うわ」

「ふーん」

 

話はそこまでだった。

私たちは、長い石段を下り、車を出し、細い道を引き返し、鎌倉まで来たのに、どこにも寄らず、葉山に帰った。

葉山に帰り、まだ暖かさの残っているうちにそれぞれの犬、プーリーとスーちゃんを連れて、浜を歩かねばならない。

 

今日もまた、一日のほとんどをみゆきさんと過ごした。

 

秋の墓参

Backnumber

浜辺の上の白い部屋 | ジェイコブスラダー | 初めての雪、終わった雪シーサイド葉山の呪縛

40年余り昔 | 花粉症のおはなし | 浜は生きている |つまらない健康おやじ

いま死ぬわけにはいかんのだ | 夏の初め、浜の応援団 | 夏の初め、海の体育祭

何回目かのいいわけが始まった | ヤンキーな夏が逝った | 奇跡のシャンパン物語

ハスラーがやってきた | 孤独な老人のひとりごとひと夜の臨死体験"ぶぶはうす"巻き込み計画

テレビの悪口 | 凄い“同級生”たち | いま改めて感謝の日々 | 日々是好日ミンミンの目だった

集中治療室 |マリアになった未紗 | 聖母被昇天 | 未紗がたくさんいる部屋で | 花火の記憶

なにもしない。誰もいない。 | おしゃべりな部屋で | 祭りの日に | ごめんね、ドゥージー

ずっと一緒に | 「ベニスに死す」のように | 蘇ったJAZZ | 美と芸術の女神か | エスメラルダ物語

ホイリゲな夜 | フォンデュな夜 | プーリーの革命と深まる謎 | 花の配達人 | へぇ、そうだったのか

小さなクリスマス | 虹の橋の伝説人生を描き切った ヘレン・シャルフベック | 高価なチャールス・ショウ三寒四温春が来たのに | おしまいの季節、遠い世界 | 忙しくも季節は流れ |ツバメに感謝、子犬に感謝 愛させてくれて、感謝 | 巡る季節の中で | 素敵な音楽家たち | 海に還った未紗
おしゃべりな鳥たち | やがておかしき祭かな | 「やまねこ」な夜  | 食卓の風景 | 犬のいる光景 | 再びJAZZYな夜