初めての雪、終わった雪
2週続けての週末の大雪。次の週にもまた襲ってくるというので、日本全体が雪国になってしまったのか、などとメディアは大騒ぎしていたが、さすが3週目の雪は空振りに終わって、そうだろうな、これが正しいんだよ、と妙な納得のされ方だ。
しかし、考えてみると、まだ2月ではないか。立春を過ぎてからが本格的な寒さを迎えるというのが、これまでの日本の姿だったはずだ。
今年は、というか、去年から今年にかけては、年末年始がおかしなほど暖かく、そのせいでまだ1月なのにもう春が来たような気分になっていた。そこに思い出したような寒波が来て、ほんとうに“冷や水”をぶっかけられた感じになったのではないか。
あれは“戻り寒波”ではなく“普通寒波”だったのです。
まだまだ”三寒四温”は続くだろうが、少しずつ春がやってきているのは事実だろう。もう、厚手のコートはしまってもいいのかな。
湘南一帯までも覆い尽くした2度の大雪は、湘南暮らし3年の私にはもとより、プーリーとドゥージーにとっても驚きの初体験であった。
もちろん去年も一昨年も葉山の街は雪に白く覆われたが、それはほんのお約束のような雪景色であって、ああ、こんなものか、と眺めていられた。ニューヨークの雪を5年間も体験している私たちにとってはたいしたことではなかった。
だが2匹の犬たちには初めての大雪。
去年、一昨年の雪のときは、ゴヨーテーが軽い坂の上にあったため、スリップ転倒が怖くて犬を連れての散歩はできなかった。
そんなことはわからない犬たちが、散歩に連れていけ、とうるさく催促していたので、そんなに出たいのなら勝手に行けば、と庭に続くウッドデッキに出してやった。
わーい、わーいといった感じで勢いよく飛び出した2匹だったが、デッキに薄く積もっている雪とその冷たさにびっくりして、すぐにこそこそと部屋に逃げ帰ってきたものだ。
今年、激しく降りしきっている初日はさすがに散歩や外出どころではなかったが、きれいに晴れ上がったふつか目、大森海岸をすっぽりと埋め尽くしている雪景色を部屋から見て、2匹を連れだす気になった。
犬は喜び庭駈け回り、状態になるか、以前よりもっと驚き、怯え、散歩どころではなくなるのか。面白いじゃないか。
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ハーネス、リードをつけて外に出る。
いつものように大喜びで飛び出した2匹だったが、そこは外に向かってオープンな廊下なので、吹き込んだ雪のためアイスリンクのように冷え切っている。鍵をかけるのにちょっともたついた私を待っているあいだ、廊下に立っていた2匹、特にプーリーの全身が細かく震えている。もともと寒がりで暑がりだから、その足元の冷たさは耐えがたいほどだったのだろう。
廊下を少し歩いて、玄関を通らずに横の出入り口から外に出る。建物から直接浜に出られる階段もあるが、この雪では私がすべって落ちるかもしれない。少し遠回りだが、表の道から浜に出ようとした。
建物の外は全くの雪原。
どうなるかな、と思っていた2匹は、なんと競うように雪の山に飛び込んでいくではないか。引っ張られた私までも飛び込まされそうだった。
プーリーは、ラッセル車のように、飛び跳ねるように、雪の中をぐんぐん進んでいく。
そしてドゥージーは、というと、この子はなんと溺れていた。
雪が深すぎて、そして脚が短すぎて、全身すっぽりと雪の中。懸命に前に進もうとしているのだが、雪に犬かきは通用しないようだ。
しょうがないからドゥージーを抱き上げ、プーリーに引かれ、私自身足首深く雪に埋もれながら、恐る恐る歩いてやっと浜に出た。
もっと深い雪野原。
プーリーはもう大コーフン。なにかを目指してでも、追いかけてでもなく、ただただはしゃいで、右へ左へ、リードいっぱいまで走り回る。飛び回る。跳ね回る。
だが、その雪の中にドゥージーは降ろせない。雪に潜って、今度こそ溺れてしまう。
そこで私たちは、雪の浜をさらに波に向かって進み、波打ち際の、雪が解けて洗い流された幅3メートルほどの砂浜に出た。そこならプーリーは雪の中、ドゥージーは砂浜という2本のレーンが確保される。
やっと溺れずに雪野原を走ることができたドゥージーと、雪と砂の両方を楽しめることになったプーリー。そして普段の数倍の労力を使って可哀そうな老人ひとり。1時間余りの「雪中行」「雪の進軍」は続いたのであります。
なんでこいつら、こんなに元気なんだ。
部屋に帰った2匹とひとり。すっかり疲れてしまって、数時間はぐったりとなっていたのであります。
その日だったか次の日だったか。オリンピックのあいだつけっぱなしにしているテレビが、オリンピックではない番組を映していた。
古い古い友人のひとり森本毅郎の番組「噂の東京マガジン」。観るともなしに観ていると、ひとつのコーナーでペットの老後の特集をやっていた。
年を取って歩けなくなった。目が見えなくなった。さまざまな病気でいまにも死にそうだ。中には犬にもある認知症のため、いつもわけもなく動き回ったり、夜中に何回も夜泣き、大騒ぎして飼い主を寝かせない。
そんな老犬を飼っているひとのほとんどは、自身も高齢者。自分のことだけでも大変なのに、それに加えて老犬の世話で、共倒れにさえなりかねない。
だからといって、もらってくれるひとはいないし、手放す気持ちもない。
そうした犬たちの、人間たちのための、いわゆる“老犬ホーム”や、人間と同じようなデイケア施設。出張介護。そうした施設の紹介と実態。
ひとと犬との老老介護。
すっかり考えさせられてしまった。
これは私たちの問題ではないか。
プーリーとドゥージーはともに4歳と少し。なにもなければあと10年近くは生きる。
10年後に私はなんと83歳。生きているかね。生きていたにしても、2匹の老犬の世話などしていられるかね。
なんとかせなあかんな。
プーとドゥー。お前らも少しは考えろや。