ミンミンの目だった

いま私は、病室の片隅の小さなテーブルの上でこの文章を打っている。
その私から1メートルも離れていないベッドでは、すっかりやつれて、首筋の細い筋肉までが浮き上がって見えている未紗が、寝息も立てずに眠っている。心配なので、ときどき呼吸を確かめに近づかなければならない。

そう。未紗はまた入院生活に舞い戻っているのだ。

 

昨年の12月初めに、右大腿骨を骨折し、緊急搬送ののち手術を受け、1週間ほどの入院を経て施設に戻ったことも、その後も、精神面では脆弱さが残ったままであっても、新たに始めた専門的なリハビリの効あって、少しずつ車椅子なしの時間を持てるようになったことも、既に報告した。
私も、施設のスタッフたちも、これでひとまずは安心、と感じていたのだが、実はそのころすでに未紗の中には大きな出来事が起こっていたのであった。

車椅子に乗っているときも、ラウンジや食堂でほかに入居者と一緒に坐っているときも、未紗だけがなぜか状態を右に大きく傾けている。

右脚にまだ痛みが残っていて、それをかばうために上体を倒しているのかと思って、

「まっすぐになってね」

などと、身体を起こしたりしていたのだが、そのうちにベッドから起き上がらせてもらうときや、車椅子に乗り降りさせてもらうときなど、

「痛い、痛い」

と声を上げるようになったのだ。

それでも、傷は治りつつあるのだから、と見守っていたのだが、あまりにも痛がる度合いが多くなったため、緊急搬送ではなく、施設の車に車椅子ごと乗せて、手術を受けた大病院に連れていった。

そしてレントゲン検査で、右大腿部の骨折が判明したのだった。

2か月前に骨折したのは、大腿骨の上から10センチほどの場所だったが、今回はさらに上、大腿骨冠という最上部。つまり骨盤とのジョイント部分が折れていた。2年余り前に、左脚の同じところを骨折し、手術を受けたのだが、その逆の脚の同じところをやってしまっていたのだ。

おそらく、夜、トイレにでも行こうとして、自分ではしっかり歩けるつもりで、ベッドから降りて、転倒したのかもしれない。

そのことに誰も気づかなかったのは、おそらく本能的に起き上って、信じられないことだが自力でベッドに上がったか、そのままひとりでトイレを済ませてベッドに戻ったか。本人がなにもいわないので、真相は不明のままだ。

だが、骨折は事実なので再手術、いや、3回目の手術は受けなければならない。

最初も、2回目も、そして今回も、同じ病院で同じ医師。世話をしてくれる看護師、スタッフも同じ。

「会員制クラブに入会したみたいだな」

と軽口をたたいて看護師にたしなめられた私だが、そうでもいわなければ耐えられない気持ちは、わかってもらえなかったようだ。

 

骨折が判明してもすぐに手術というわけにはいかないのは、前回も前々回も同じだった。さまざまな検査や、手術に耐える体力をつけるための準備などで、5日後の手術となった。

それまでの待機入院の病室も、同じ病棟、同じフロア。なにか、ほんとうに会員になったようであった。

 

2匹の犬をいつも世話になっているペットサロン“ぶぶはうす”のホテル部門に預け、毎日朝から夕方まで未紗の病室で過ごした。これまで取りかかることのできなかった大部の書物を持ち込んで、ベッド横の硬い椅子で読む。分厚い、全4冊の、かなり専門的な歴史書だが、こういう機会でなければ、読破することが難しい。

未紗はほとんど眠っているが、それでもときどき目を開けて、天井や壁に力のない視線を這わせていたり、点滴チューブを刺した腕を宙にさまよわせたりするから、書物にだけ集中することはできない。

 

明日が手術、という日の午後だった。

食事はほとんど受け付けず、そのためにも点滴をしているのだが、当然それだけでは足りず、ほとんど薬、といってもいいような流動食を流し入れていたのだが、その流動食でさえ喉に詰まらせてしまった。飲み込む力が弱っていたのだ。

仕方なく、口の中に吸引チューブを差し込んで吸い上げようとしたのだが、これはなかなか苦しいものらしい。未紗はいやがって顔を必死にそむけようとし、点滴の腕を力なく動かして看護師の手を払いのけようとする。

仕方なく私も参加して、未紗の手をつかんで抑えようとした。

未紗は、うめき声をあげながら抵抗していたが、そのとき私と目があったのだ。未紗はまっすぐに私を見上げていた。

そのとき私は思った。

この目を、覚えている。

この目を、私は決して忘れないでいた。

忘れることのできない、目だったのだ。

 

6年余り前のことだ。そのころは東京のトヨスの高層マンションに住んでいたのだが、私と未紗のそばにずっと一緒にいたのがミンミンだった。

24年前、カリフォルニアのパームスプリングに我が家の庭にふっと迷い込んできた小さな子猫は、ミンミンと名付けられて、ニューヨーク、東京は世田谷区、そしてトヨスと、16年ものあいだ、私たちの家族であり続けた。

そのミンミンは、すっかり老猫になり、食事もどんどん細くなって、ついには起き上がることもできなくなった。一時は“巨大猫”とまでいわれた身体も本当に骨と皮。子猫のときよりさらに小さくなってしまっていた。

ある日、床に置いた大きなクッションに横たわっていたミンミンが、見ると口を開けてなにかいおうとしている。声にならない鳴き声を立てている。

近寄って抱き上げとき、ほとんどゼロに近い体重のミンミンは、私の両手の中から私を見上げ、なにかいった。
必死にすがるような、なにか訴えかけるような、助けて、と叫んでいるような、そんな目だった。

10分後に、ミンミンは死んだ。

 

未紗は、あのときのミンミンの目で、私を見ていた。

必死にすがるような、なにか訴えかけるような、助けて、と叫んでいるような、そんな目だった。

私も、胸のうちに、叫んでいた。

「未紗、死ぬな! 死んでは、駄目だ!」

そして、祈っていた。

「未紗を,助けてくれ! 未紗を、連れていかないでくれ!」

 

その後、未紗は眠りに入った。

翌日の手術は、成功した。

私の叫び、私の祈りは、通じた。

 

だが、まだ安心はできない。

未紗は、いま、私の見守る中、生きようとしている。

 

ミンミンの目だった

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