美と芸術の女神か
鎌倉のジャズクラブに誘い、素敵な時間をくれたP・みゆきさんを紹介しよう。
実はこのひとを、ミステリアスな存在、いったいどういう女性なのかと、読むひとを迷わせたく、名前もP・みゆきとだけにした。
Pで始まる姓は日本にはまずないだろうから、それだけでも、おや、どこのひとだろうと思わせるつもりだったのだが、前回うっかりとみゆきさんと写っている写真を載せてしまった。
だから私の目論見は半分以上はずれてしまったのだが、それでもまだいう。みゆきさんは、多くの魅力、謎を秘めたひとなのだ。
知り合ったというより、すれ違うようになったのは、私が森戸海岸に移ってきた3年前のことだった。
プーリーとドゥージーを連れて長い海岸を往復するのが日課となり、幾人もの犬連れと顔見知りにはなったが、親しく話す、いわゆるイヌトモにはなっていないそんなとき、ひとりの女性と出会った。
あり得ないほどのプロポーション。色白な顔は、日本人ではないようだ。ブラウンの長い髪を海風になびかせ、すっと背を伸ばしてゆったりと歩く傍らには、シェパードなのか、大きな茶色の犬が従っている。
葉山にはいろんなひとがいることは知っていたが、こんな人もいたのか。
みゆきさんとの出会いは、おしゃれなイタリア映画を観たときのような驚きとときめきを、私の老いた心にもたらしたものだった。
余談だが、後にみゆきさんと御用邸そばのカフェ、以前にも紹介した山根佐枝さんの店「やまねこ」のカウンターに坐ったとき、私はその浜での感動を話した。
「イタリア映画のようでした」
みゆきさんは笑っていただけだが、みゆきさんが中座したとき、店の女性が私にいった。
「佐山さんはああいって口説くんですね」
口説いたわけではない。素直な気持ちをいっただけだ。
それはともかく、みゆきさんと親しく話すようになったのはここ数か月前のことだから、私がいかに純情かわかるだろう。というのは冗談で、未紗の施設に通い、のちには病院に日参し、やがては未紗を見送り、私の心はそれどころでなかったのだ。
未紗が逝ってしばらくして、ペットシッターの山口治美さんと一緒に2匹を散歩させているとき、みゆきさんと浜ですれ違い、治美さんに改めて紹介された。
そのことがきっかけで、みゆきさんがこの文章を読んでくれ、
「奥様のこと、お悔やみいたします」
とメールをくれ、そうして親しくさせてもらうようになり、犬たちと一緒に海の家「ノアノア」でビールを飲んだり、これもいずれ詳しく紹介しなければならない浜のカフェ「エスメラルダ」でワインを傾けたりするようになった。
私の心は相変わらず未紗を追いかけてはいるが、その引きこもり生活に多少なりとも光と温もりを与えてくれているのがみゆきさんであり、治美さんなのだ。ボランティアの介護人、といったら怒られるかな。
プロー(Purro)・みゆき。これが本名。
スイス人の父、日本人の母のもと、東京で生まれ育ち、高校、大学とピアノを学び、プロのピアニストとなる。
その傍らステージ、雑誌などのモデルとしても活躍する。
と書くとお父さんがプローさんなのかと思うが、お父さんの名は、
マックス・エッガー(Max Egger)。
と聞いてはっと気づいたひとは鋭い。
実は私も知らなかったのだが、世界的な、巨匠ともいわれたピアニスト。
戦後しばらくして来日し、幾度かの往復ののち、日本を中心に活動するようになり、各地で演奏会や指導を行った。
ショパン、シューベルト、リスト、ウェーバーなど、高度なテクニックを要する曲を得意としながら、そこに豊かな情感を込める曲想は、
「馥郁たるロマンの香り」、「ヨーロッパの感性」
と、高く、大きく評価されたという。
そうすると、みゆきさんは当然この巨匠からピアノを教わったのかと思うが、
「父はあまり教えてくれませんでした。私も怖くて、教えて、とはいえなかったし」
という。
ただ、みゆきさんが長じたのち、
「聴いてあげよう」
といわれ、怖さと緊張の中、何曲か聴いてもらうようになった。
「父には、細かい技術ではなく、全体的な流れや、心の動き。盛り上げ方、抑え方をいわれました」
それがかえって、みゆきさんのピアノに奥行き、広がりを与えることとなり、彼女自身も、
「ヨーロッパの雰囲気を持つ」
と評されるようになった。
マックス・エッガー師は、92年の長寿を全うし、7年前に没した。
みゆきさんの出自は、こうして素晴らしいものだが、そのひとがどうして葉山に住むことになったのか。
ピアニスト、モデルとして活躍し始めたころ、みゆきさんは結婚した。
相手は、やはりスイス人のプローさん。
ふたりの子供に恵まれた。ということは、みゆきさんがハーフなので子供たちは、スイス4分の3、日本4分の1。
一家はやがて、プローさんの仕事の都合でアメリカに渡り、カリフォルニアで8年間暮らした。
そして、3年前、エッガー師の死去を機に、みゆきさんがひとり、いや犬のストライプとともに日本に帰ってきた。
娘さんはひと足早く帰国し、日本の大学を出て、いまある大企業に勤め、東京でひとり暮らし。
息子さんはアメリカに残り、現在大学生。来秋卒業だが、ずっとアメリカにいるつもりだという。
このふたりの姉弟にも会ったが、素晴らしい美男美女。みゆきさんだけでなく、プローさんがいかにハンサムだったかがわかる。
こうした素敵なひとと知り合いになり、親しくしてもらい、なにかとお誘いをもらい、私の日々は豊かになりそうだ。未紗も喜んでくれているだろう。
みゆきさんはいま、葉山の海近くに広壮な家を借り、「みゆきの部屋」というピアノ教室を開き、多くの生徒を教えているが、そのほかには週に1日か2日、県内の女子高でフランス語の講師も務めている。
このひとは、英語、フランス語のほかドイツ語もネイティブ的。
さらにはケーキ作りにも才を発揮し、エスメラルダには「みゆき先生のアップルタルト」なるメニューもある。
才気煥発とはこんなひとのことをいうのだろうが、少しもそんな高み、権威などを感じさせず、物静かで優美な雰囲気を漂わせているのが、ますます魅力的だ。
先日「みゆきの部屋」に招かれた。
「ピアノを聴きにいらして」
といわれ、ひとりではなんだからと、治美さんも伴って、夕方の1時間ほど過ごしたが、私たちのためだけのコンサート。
シューベルト、ショパン、ブラームス、バッハ、リスト。そして私の知らなかったアメリカの作曲家。
さすが父譲りの感性。
馥郁たるロマンの香り、も、ヨーロッパの雰囲気、も充分に堪能できた。
治美さんなどは、感動で涙ぐむほどだった。
「こうして聴いていただくことが、私の練習にもなるんです」
ときどきいらしてください、という。
どこまでも奥ゆかしい。
次回はこんなみゆきさんとも同席できる「エスメラルダ」の話を。