いま死ぬわけにはいかんのだ  

つい数年前までは、こう考えていた。

人間いつかは死ぬ。しかも、年齢を重ねるにしたがって、その確率は急勾配で上昇し、私のような年になると、もういつ死んでもおかしくない。いままで生きていたのがおかしいほどだ。

だから、死を恐れない。死から逃げ回るのではなく、近づいてくる死を前にして、後悔しない生き方、やり残したことのない末期を過ごす。

自分の人生は、その点に関してはうまくやれてきた。と思う。

いま死ぬわけにはいかんのだもの書きとしては、好きなものを好きなときに書き、それがことごとくうまくいき、ひと並み以上の暮らしをすることができた。

旅人としては、世界各地を遊び回り、大小ほとんどの美術館を観て、その国、その都市の誇るオペラハウス、コンサートホールを訪れた。

生活人としては、ミラノ、ヴェネツィアには短い期間ではあったが暮らし、パリ、カリフォルニア、ニューヨークには長期にわたって市民として過ごした。

帰国した日本でも、世田谷の住宅地から、トヨスの超高層、さらには湘南の最高ブランド地、葉山に“サヤマのゴヨーテー”を建てた。

自分としてはほとんど文句のない生き方をしてきたつもりだったから、もういいか。もうやり尽くした。あとはいつ死んでもいい。そう考えていたのだ。

好きなときに行きたいところに行き、飲みたい酒は飲みたいだけ飲む。

ただ、痛いとか苦しいのは嫌だから、倒れる寸前に立ち止まるということはあったが、心の底に死を恐れる気持ちはなかったのだ。

 

だが、そんな私が変わってきた。

身体を大事にするようになった。
といっても、浴びるほど飲んでいた各種の酒が、度数の弱い“極ZERO”という軟弱なビールに変わっただけだが、この軟弱ビールの効果は大きかった。糖質ゼロ、プリン体ゼロというこれが、これほど効くとは思わなかった。

一応定期的の測定していた血圧、血糖値がドラスティックなほど下がった上に、「持病は二日酔い」と威張っていたのに、それがすっぱりと姿を消した。

健康おやじになってきた。

なぜ私がこうした“マニンゲン”になったのか。それが自分のためではなく、未紗のため、プーリーとドゥージーのためだとは、これまでに数回は書いた。このひとりと2匹は、私が倒れると確実に困る。

未紗はいまホームに入っていて、身の回りのこと、食事のことなどはすべてやってもらえるし、法的、財政的なことは司法書士がすでに付いていて、一切お任せできることになっている。

だが2匹のほうはそうはいかない。いまのまま私がいなくなれば、彼らは家の中なら餓死するだろうし、うまく外に出られてもか弱い野良犬と化し、路頭に迷い、やがては野垂れ死にという宿命にある。

だから、そのためだけでも、私がいま死ぬわけにはいかないのだ。

 

いま死ぬわけにはいかんのだと、ビールを変えただけのことを、そのわけを長々と解説したのは、私自身、いささか照れている、忸怩たる思いにある証左かもしれない。

だが、こうして健康になってきたにしても、“死”というものへの不安が消えたわけではない。

いま流行している、話題になっていることに“孤独死”“突然死”がある。

老人のひとり暮らし。ひと知れず死を迎えても、何日も、ときには何か月、1年も2年も誰にも発見されず、といった報道がいくつもあった。

ひとり暮らしでなくても、それまで健康でいたひと、まだ老人とはいえないひとが、心臓か脳の急変によって突然死んでしまう。

ふたつのケースの双方に当てはまる私なので、うーん、どうしようか。

 

突然死、孤独死についてなにも考えていないわけではない。

私なりに考え、それなりの手を打っている。あるいは手を打とうとしている。

その話を今回しようと考えていたのだが、長話になってしまったので、次回に譲る。

ほんとうに話がくどくていけないやね。わりぃ、わりぃ。

 

いま死ぬわけにはいかんのだ

 

Backnumber

浜辺の上の白い部屋 | ジェイコブスラダー | 初めての雪、終わった雪シーサイド葉山の呪縛

40年余り昔 | 花粉症のおはなし | 浜は生きている |つまらない健康おやじ