花粉症のおはなし

今年はスギ花粉の舞う量が平年より多いという。

テレビでも、アナウンサーやキャスターやタレントたちが、少しわざとらしく鼻をぐずらせたり、目をしょぼしょぼさせて、

「花粉症がつらくて」

などとうれしそうに弱っている。

 

と、時事ネタというか季節ネタで始めてみたが、実は私はこういったことは好きではない。

ひとに会うたびに、

「いい天気ですね」

とか、寒いだ暑いだといってみたところで、ただ意味なくむなしいだけだと思っている。

だから、

「暖かくなりましたね」

なんて挨拶されると、相手によるが、

「そうでもないですよ」

といい返して、嫌われる。

 

花粉症のおはなし花粉症ネタも、それと大差ないと思うのだが、ではなぜ今回そんなつまらない話題から始めたかといえば、昨日いつものように未紗の部屋を訪れたとき、所在なげにテレビを見ていた未紗が、少し弾んだ声でいった。

「わたし、花粉症になっちゃった」

足元のくずかごに、丸めたティッシュペーパーがたくさん入っていた。

「そんなはずはないだろう」

私はいった。

この建物から外に出ることはほとんどないはずだし、部屋の窓はいつも閉まっている。こうした施設にとっての常識的な環境にあるのだから、その中で花粉症に罹患するなどあり得ないではないか。
そういったのだが、未紗は、いやこれは花粉症に違いない。ナースに花粉症の薬を、もうお願いした、といい張る。

それを聞いているうちに、私も、もしかしたらそうかもしれない、と思い始めたのだ。

そもそも私たち、私にも未紗にも花粉症の資質はない。ずいぶん長い歳月生き続けてきたが、花粉症の症状、気配が現れたことは、過去一度もなかった。そういう体質なのだ。

その理由は、これはある程度科学的にも証明されていることだが、私たちが長年途切れることなくペットを飼っていたからだと思う。

花粉症という病気は、体内にスギ花粉のような異物が侵入し、アレルギー症状を誘発して起こるものだろう。そうした異物のない空気の中で過ごしてきた身体にとっては、一種の防衛本能が働く結果が、花粉症になって現れる。

それが、私たちのように絶えずペットの抜け毛だのペット由来のハウスダストにさらされていると、いつも異物とともにいるわけで、異物が異物ではなくなる。ほかの異物が侵入してきても平気。こんなもの、屁でもないや、という逞しい身体ができあがっているはずだ。
だから私たちに、花粉症はない。

 

花粉症のおはなしそう信じ切っていた私だが、未紗のようすを見ているうちに少し気持ちが揺れた。

もしかしたら、と思い始めたのだ。未紗は、花粉症に罹ったのかもしれないな。

そう思う理由は、私たちに花粉症はない、と思っていたものと同じだ。

ずっとペットと共に生きてきた私たちだから、花粉症はない。

だが、そのペットから長いあいだ離れて暮らしていると、ほかのひとたちと同じように花粉症を呼び寄せてしまうかもしれない。ヘビースモーカーが煙草をやめると、かえって他人の煙草に厳しくなるのと同じだ。 

未紗がこの施設に入ったのは昨年の7月あたまだった。それ以来8か月近く、プーリーもドゥージーも未紗の側にいない。

稀には私が2匹を連れてきて、ホームの玄関前のベンチで未紗に“面会”させたが、寒い季節だったためその回数は少ない。外を歩いていて散歩の犬とすれ違うよりも、さらに頻度は低いだろう。

未紗は、すっかりきれいな身体になってしまったのかもしれない。

 

花粉症のおはなしそんなことがあって帰宅しても、その夜のテレビはやはり花粉症の話題でいっぱいだった。

お天気ニュースではなく、例のどの番組にも揃って顔を出すお笑いタレントたちが居並ぶいわゆるバラエティ。それぞれが、花粉症でいかに大変かを、競い合って自慢している。

そんなお笑いタレントに交じって、いわゆる文化人枠、と呼ばれる訳知りのセンセイたちもいて、そのひとりがいっていた。

「花粉症というのはね、日本独自のもので、欧米ではほとんど見られないんですよ」

この言葉に並びタレントたちは、へぇ、そうなのか。いいなぁ。海外に住みたいな、などと口々に反応している。こんな場合黙っていることのできない職業病なのだろう。

だが、そんなタレントたちとは別に、私はその文化人センセイに驚いたのだった。欧米に花粉症はない、だって?

 

Hay feaver(ヘイフィーヴァー)という言葉がある。“枯葉熱”と訳されてはいるが、目はしょぼしょぼ、鼻水たらり、くしゃみに微熱、は日本の花粉症と変わらない。しかも原因は言葉通りの枯葉だけではなく、それこそ花粉やその他の自然モノにある。

これをもっても、欧米に花粉症はない、というのか。

枯葉は枯葉だ。花粉ではない、といい張るなら、これでいきましょう。

Pollin illness(ポーランイルネス)。

ポーラン、ポーリンはまさに花粉。だから花粉症。

Pollinosic(花粉症)、というりっぱな言葉もある。

アメリカのテレビでは、真冬を除いてほとんどの季節、天気予報と同時に、

Pollin report

Pollin information

を流している。つまり“花粉情報”。

アメリカばかりではありませんよ。

フランス語で花粉症は、Pollinose。

欧米に花粉症はないといったセンセイ。こういい換えてはどうかね。

「世界中に蔓延している花粉症でも、スギ花粉症は日本に特に多いようですね」

 

花粉症のおはなしテレビのバラエティで発言する文化人センセイたちは、このようなヨタをよく飛ばす。

花粉症ではないが、しばらく前に見た“キョーヨー番組”。名古屋のある大学で教えているMセンセイが、こんなトンデモ知識を披露していた。

太平洋の“タイ”は“太い”という字だが、大西洋の“タイ”は“大きい”という字。どう違うのか、という設問に、なんとこういったのだ。

「ダイという字より、フトイという字は、より大きな、との意味を持ちます。大西洋より太平洋のほうが広く大きいので、こちらのほうに太いという字を使うのです」

Mセンセイ。名前を公表してやろうか。

太平洋、は「泰平・太平」の海(洋)。

大西洋、は「大きな  」「西洋(西の海)」

いうまでもないことか。

 

こんなヨタを飛ばす文化人は数限りないし、あまりいうと天に唾するかもしれないのでここまでにしておくが、未紗の花粉症を聞いた翌日、未紗はいった。

「花粉症じゃないんですって。ただの鼻風邪で、それももう治っちゃった」

つまらなそうだった。

 

いま私は、鼻をぐずぐずさせながらパソコンに向かっている。未紗の風邪がうつったのか、それとも、えーっ、花粉症か?

 

花粉症のおはなし

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