おしまいの季節、遠い世界

    しずこころなく
  はなのちるらむ

 

誰もがそんな思いを抱くひとときではなかったか。

店の前の広場に大きく張り出したオープンテラスのテーブルで、ブランチを摂る私たちの上に、広く、いっぱいに咲き誇っている桜並木が、盛大に、そしてせわしなくホワイトピンクの花びらを撒き散らし、撒き続ける。

花びらは風に乗り、風に流され、テラス客の上にも降り注ぐ。

花びらは滑るように落ちて、私たちのテーブルに、そして飲み物、食べ物の上に舞い落ちて、ようやく静かになる。

テーブルの上は、すでにして花びらが、思いがけなく清楚な絵を描き、いま、私の前のドイツビールのグラスに滑り落ち、向き合って坐る連れのミネストローネにもひとひら落ちた。

いまなにかが終わろうとしている。

花吹雪はいずれ終わる。

そのときが、本当の春の終わり。

私たちはなにもいわず、その季節の変わり目を味わっていた。

幸せが、すとんと胸に落ちる。

 

おしまいの季節、遠い世界久しぶりの東京だった。

思えば、4年間、来ていない。

いや、実は半年ほど前に、戸籍謄本を取るために東京のある区役所にきてはいるが、そのときは時間がなく、ただ大急ぎで往復しただけ。慌ただしさと、階段の上り下りの疲労感だけが残った。

こうして静かに景色を眺め、風を味わうのは、4年前どころかさらに遠い記憶の中だ。

自分がいかにお上りさんか、思い知らされる。

湘南新宿線で渋谷に降りた。そこから地下鉄に乗り換える。

昔はどこに行くにも通った渋谷。

渋谷は、私の東京生活の要でさえあった。目をつむっても歩けた。

だが、湘南線のホームに降り立って、立ちすくんだ。

どこに行けばいいのか。ここがどこなのか、わからない。 

わかりにくい案内板、標識をなんとか読み解き、ひとの流れについて歩く。

昔は階段なりエスカレーターですっと行くことのできた地下鉄のホームが、限りなく遠い。

ホームの階段を2度3度上り下りし、そこから長い長いスライドベルト、動く歩道を行き、スクランブルド交差点のような屋内広場で迷い、ようやくメトロに続く階段。

やっと改札を抜けて出たところは、予想していた場所から大きく離れている。

半蔵門線、と書いてあったのに。

 

おしまいの季節、遠い世界いったんホテルにチェックインし、少し休んで出直す。

目的は、サントリーホール。

サントリーホールは、赤坂のアークヒルスの中にある。

アークヒルスには、地下鉄銀座線の溜池山王から。

私がアメリカに行く前にも、サントリーホールはあったが、溜池山王の駅はまだなかった。虎ノ門から歩いたはずだ。

この新しい駅のことは調べたのだが、出口をチェックし忘れた。

適当な出口から地上に出たら、写真で見たような光景。

ここでよかった、と安心して歩き始めて、おや、と思う。

広い道の先に、どうやら六本木交差点らしき眺め。この街も知り尽くしていたところだが、サントリーホールの場所とは違うはずだ。

通行人に尋ねるのも癪なので、再び地下鉄駅に降りて、壁面の街路図を見る。

アークヒルスは13番出口か。

この13番出口がたまらなく遠い。細い通路なのだが、途中にコンビニやゴルフスクールなどがあり、トンネルのように延々と続く。ひと駅分はゆうに歩かされた。

 

おしまいの季節、遠い世界懐かしいサントリーホールであった。

開場を知らせるエントランス上の大きなオルゴールも、その上にずらりと並ぶ赤いバナーの群れも、昔のままだ。

受付に、友人がチケットを預けておいてくれている。1階の10列目。最高の席だ。

大きなドアを抜けると、赤いシートの列が、斜めに広がっている。

まだ着席の客たちは半分にも満たないが、正面ステージにはすでに椅子が並べられており、ピアノ調整、調律が音もなく行われている。

胸ときめく時間だ。

今夜、この場所で催されるのは、

 

トヨタ・マスター・プレイヤーズ・ウィーン

 

おしまいの季節、遠い世界ウィーフィルのメンバーを中心に、多くのヨーロッパ、幾人かの日本人演奏家が加わっての、毎年恒例のコンサート。このサントリーホールがおしまいで、ここまでの2週間、日本全国を回ってきている。

被災地慰問コンサートの岩手、宮城を皮切りに、札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡、そして東京。1日の休みもなく、毎日移動といった強行軍。

 

席についてパンフレットを眺めていると、空いていた隣の席に座ったのが、このツアーの重要スタッフの友人。チケットを取ってくれたひとだ。いまの私の最も大切な友のひとり。

このひとに会いたいから、コンサートに来たともいえる。

 

コンサートは、申し分なかった。

 

おしまいの季節、遠い世界バッハ ふたつのヴァイオリンのための協奏曲

ドニゼッティ クラリネット小協奏曲

モーツアルト ピアノ協奏曲

 

休憩を挟んで、

 

ベートーヴェン 交響曲 第6番 田園

 

胸ふさがるひとときだった。

 

あー、と、声にならない。言葉にならない。

こうした世界が、こうした時間が、昔の私の世界だったのだ。

いまは遠いこの空気。この感動。

10年前に日本に帰ってきてから、しばらくはこの世界に加わってはいたが、未紗の病、葉山への転地、未紗の通院、入院、施設入り。そして最後の入院、と続き、いつしか遠ざかってしまっていた。

それがこの夜、鮮やかに、華やかに蘇ってきた。

未紗にも報告しなければならない。

 

おしまいの季節、遠い世界サントリーホールのコンサートが終え、私たちは遅いディナー。

ホールの前のカラヤン広場に面して広がるフレンチ・ブラッセリー「オーバカナル」の奥の席に並んで座り、前菜中心のメニューをいくつか頼み、あとはワインで語り合う。

久しぶりに会ったので、話は弾み、ワインは進み。

音楽のこと、美術のこと、映画のこと。

大いに語り、大いに笑い、大いに飲む。

片づけを終えたコンサートの団員たちが、次々に現れて、挨拶に寄っていく。

そのひとたちに、称賛と感謝の拍手を静かに送り、また来年と、手を振る。

そうなんだ。

昔、私はこういう世界にいたのだ。

閉店時間は、とっくに過ぎていた。

 

おしまいの季節、遠い世界翌日、私は再びアークヒルスにやってきた。

今度は間違えない。溜池山王駅から、桜坂をゆったり上がり、その先は鼓坂だったろうか、アークヒルスとホテルオークラのあいだの広場に、桜舞うオープンテラスがあった。

 

  しずこころなく
  はなのちるらむ

 

花びらいっぱいのブランチを終え、私たちはアークヒルス、カラヤン広場に降りてみた。

ちょうどフラワーマーケットが開かれており、たくさんのひとがゆったりと歩いている。

そして、私たちが降りてきた石段の踊り場で、いま小さなコンサートが行われようとしている。

 

FUTURES CONCERT

 

おしまいの季節、遠い世界と銘打ったそれは、ヴァイオリンとピアノ、若いふたりの女性が、

 

愛の挨拶

チャルダッシュ

ムーンリバー

星に願いを

タイスの瞑想曲

 

といった爽やかなイージーリスニングを奏でる。

調べは、桜の風に、可憐に流れていく。 

 

 


おしまいの季節、遠い世界

 

 

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