聖母被昇天

聖母被昇天 「天におられるわたしたちの父よ。  

聖母被昇天み名が聖とされますように。  

み国が来ますように。  

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。」  

静まり返った、肌寒ささえ感じる部屋に、低く、静かに、そして優しく牧師の声が流れる。前に立つ黒服の私たちは、うなじを垂れ、目を閉じ、あるいは足許を見つめ、その声を受けている。

「全能の神よ、身元にめされた愛する兄弟の体をいま、火にゆだね、私たちのために死に、栄光のうちにまたいかされた救い主イエス・キリストによって、終わりの日の復活と永遠の命とを堅く望みます。主よ、聖霊によって、わたしたちもこの兄弟とともにいよいよ主に近づき、ついに主の栄光のみ姿に変えられますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。」  

そして参列者も小さく声を合わせて唱える。

「アーメン」  

 

聖母被昇天このあと、白木の棺の中の未紗の顔と身体の上に、覆い尽くすほどの花びらが飾られ、棺の蓋が静かに閉ざされる。  

もうこれで、未紗を見ることはできない。  

この後しばらくして、未紗は天に昇っていくのだ。  

6月30日午後1時30分。  

 

二日前、私は未紗のいる病院に車を走らせた。  

毎日のことだ。  

1年半の間入居生活をしていた施設で転倒し、施設の車で病院に運ばれたのが2月27日だった。

左脚大腿部骨折。  

金曜日だったので週明けに手術。2月は残り1日で、3月2日の執刀となった。  

手慣れた簡単な手術だったので、その日の夕方には顔を見ることができ、 「軽いリハビリをして、1週間ほどで施設に戻れるでしょう」  

といわれ、未紗にも、 「油断大敵だよ。もう2度とすっ転ぶんじゃないぞ」  

などと冗談めかしていったものだった。  

 

その日から私の病院通いはずっと続いてきたのだが、長くても10日ほどといわれたのがこれほどの長きにわたったのは、3月6日の急変からであった。  

深夜、電話で呼ばれて私が駆けつけたときに、未紗はすで集中治療室。  

脚の手術は成功したのだが、持病のパーキンソン病のため気管の筋肉が硬直し、呼吸困難に陥ったのだ。  

未紗はそのときから、ただ生きているだけ。人工呼吸器と点滴とで生きているだけのひとになった。

集中治療室はでたものの、ほとんど同じ設備を備えた特別病室。  

医師はいった。 「この設備は延命装置ではなく、応急装置です。長くても1週間支えることしかできません」  

だから私は、大慌てで逗子の聖ペテロ教会の竹内牧師をよび、病室における洗礼を授けてもらったのだが、それがなんと4か月もの長い病院暮らしになろうとは。  

枕元に坐っても未紗は私に気付くようすもなく、空気を送り込むパイプを咥えせせられ、なんか所かチューブにつながれた姿で、ただ生かされている。  

それが4カ月続いた。  

初めのころは、未紗の姿があまりにも可哀そうで、憐れで、 「未紗、もういいんだよ。もう頑張らなくてもいいんだよ」  

と話しかけ、医師にも、

「もう、機械を抜いてください」  

と頼んだのだが、脳死が判断できない限り、それはできない、ときっぱり断られてしまった。

 

だがときが流れるにつれ、私の気持ちにも変化が現れ、こうして未紗のベッドサイドに坐っている時間を、もっと大事にしようと思うようになったのだ。  

なにも応えてくれなくてもいい。返事も頷きもいらない。  

ただ、私に、私の心に、話をさせてくれ。  

 

いろんな話をした。40年以上一緒にいたのだ。話すことには困らない。次から次へと、話すこと、思い出が浮かんできて、病室にいる数時間はあっという間に流れていった。  

いま思うと、しあわせな時間だった。これほど未紗の心とひとつになれたことはなかった。

こんなときが、ずっと続いてもいいんじゃないか。そうまで思うようになっていたのだ。  

 

聖母被昇天6月28日も同じように過ぎていた。  

昼前に病院に行き、病院の食堂で朝昼兼ねた食事を摂り、それから4時すぎまで“心の会話”を交わし、また明日な、と帰る。

森戸海岸の部屋に帰るとすぐに、待ちわびていたプーリーとドゥージーをリードにつないで目の前の浜辺に出る。  

その時間帯は散歩犬のピークなので、幾人もの犬仲間に会い、犬におしゃべりをさせたり遊ばせたりの1時間が過ぎる。  

帰って、ベランダに小さな椅子とテーブルを出し、缶ビールと、この日はチーズ。犬用の乾燥ささ身も準備して、夕食前の軽い一杯。  

ビールをひと口飲んで、思い出した。  

明日は私の誕生日だ。  

やれやれだね。75歳だってよ。後期高齢者だってよ。  

そして空に気付く。  

なんという空だ。先程までの曇り空が、雲が引くのと陽が沈むのが不思議な調和をみせたのか、赤というか、茜というか、オレンジというか、グラデーションというか、見たこともないほどの輝きを見せていた。  

 

聖母被昇天その空を見て、私は1枚の絵を思い出していた。  

ムリーリョの『聖母被昇天・無原罪の御宿り』。  

未紗が旅立ったのは、その夜、11時10分。享年72。   

 

森戸海岸のベランダから見た不思議な空。そこに浮かんだムリーリョの絵画。  

それが未紗とのお別れの場に蘇ってきた。    

 

未紗は、クロスの描かれた布に包まれ、遺灰となって帰ってきた。部屋のキャビネットの高い位置に、写真と共にあって、私と犬たちを見降ろしている。  

そう。未紗は、逝ってしまったのではなく、帰ってきてくれたのだ。  

これから、未紗との“心の会話”が長い間続くことになる。

 

 

 

聖母被昇天         

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