奇跡のシャンパン物語
週に2、3回、一緒にランチを摂りに未紗の施設に出かけている。
普段、未紗は1階の食堂でほかの入居者たちと一緒に食べているのだが、私のような家族が来たときには居室に運んでもらって、小さなテーブルに向き合って、自宅感覚の食事になる。
メニューは食堂と同じで、料金も均一。1食いくらと決まっていて、“ご家族食”の名目で回数分毎月まとめて清算されるのだが、当然のように食事内容にはばらつきはある。たいしたことないな、といえるメニューから、豪勢じゃないか、と思えるものまでさまざまで、それでも同一料金。
そのことを知ったあるときから、私は毎月送られてくる写真付きのメニュー一覧「○月献立表」を見て、“ご家族食”の予定を立てる。どうせなら豪華なほうがいいではないか。
施設には、毎月1度か2度「特別食の日」というのがあり、例えば「雛祭り御膳」、「お花見弁当」、「土用の丑の日重」(ウナギが苦手な私はパスしたが)など豪華食を出す。これを見逃す手はない、と賢明なる私は考え、その日を必ず選ぶことにしている。
先日がその日でもあった。
「敬老の日特別御膳」。
写真を撮ってくればよかった。そう思える立派なランチ。それぞれの量は少なくとも、山海の珍味。食彩鮮やかな料亭風ランチだった。
「ね、おいしいでしょう」
未紗はまるで自分が料理したかのように威張っていたが、ま、それもいいでしょう。
しかし、この「敬老の日」は誰が誰を敬う日なのだろうか。
普通は、“ご老人”を“ご老人”でないひとが敬い、大切にする日、なのだろうが、うちの場合は、“ご老人”がふたり向き合って食事をしただけ。お互いを敬っていたかといえば、そうでもなかったろう。
だから、いうなれば“老老の日”なのだが、それは別にこの日に限ったことではない、毎日毎日、これまでもこれからもずっと“老老の日”なのだから。
ま、そんなこともあって、大いに満足して、歩いて5分の自宅(自室?)に帰った私のもとに、間もなくひとつの荷物が届けられた。
細長い四角な箱。開けてみるまでもなく、それが酒であることがわかる。それも日本酒やウイスキー、コニャックの類ではなく、ワイン系。もっというなら普通のワインボトルではなく大きめの、そう、シャンパン系。間違いない。
ソファーに坐って。2匹の犬たちが興味深げに見つめる中、包装紙を引きちぎるように開いて取り出したるものは、私の鋭利な推理そのままの1本のシャンパンボトルであった。
カードが添えられていて、
『敬老の日
おめでとうございます。
面白い1本を入手しました。
このシャンパンの稀有な物語、おわかりの方に召しあがっていただきたく、
お送りします。』
送り主は、いまは関西に住んでいるふた世代も若い友人で、関西の大企業の偉いさん。どういうわけか私を高く評価してくれて、私が書くものはすべて読んで、そのたびに好意的な感想を送ってくれている。
私があまり書かなくなってからは、それでもなにかの機会を見つけてはこうしてプレゼントを送ってきてくれる。
そんなありがたい友人のひとりなのだが、今回はちょっと引っかかるな。
そもそも、「敬老の日」をおめでとうといわれて私が喜ぶと思っているのか。
いや、彼のことだから、そんなことは百も承知で、冗談半分、からかい半分の「おめでとう」なのだろう。
そしてもうひとつの引っ掛かりは、わざわざ太字にしてある一文。「このシャンパンの稀有な物語、おわかりの方に」とあるところ。
「お前にはわからないだろう? わかるかな?」
のニュアンスが感じられてならないのであります。
改めてそのシャンパンボトルを眺めなおす。
MONOPOLE CHAMPAGNE
HEIDSIECK & CO
安心した。
これはあの有名な、モノポールのシャンパンではないか。
たしかブルゴーニュが生んだ高級ワインで、世界の有名ホテルなどで愛飲され、そしてあのタイタニック号にも大量に積まれていて、大西洋の底深く沈んでいった。
そんなことなら知っているさ。残念でした。
と、私は大いなる自己満足に浸り、今度いつか、誰かが来たときに、薀蓄をたっぷり交えながらこのボトルを開けよう。そう思ってキャビネットに収めたのだった。
だが、翌日になって、なにか胸の内に突っかかるものがある。
あの回答でよかったのか。
タイタニック号とともに沈んだ逸品。
その程度の話。もしかしたら誰でも知っているような逸話を、あの彼が「稀有な物語」「おわかりの方に」などと大仰に書くか。
もしかしたらもっとなにかがあるのではないか。
私は昨夜閉まったあのボトルをもう一度取り出してみた。
ラベルの底近くに記されている、
HEIDSIECK & CO
うーん。エドシック、と読むのだろうが、この会社、聞いたことがある。
その日予定していた外出を取りやめ、 車で15分、8か月前まで暮らしていた“サヤマのゴヨーテー”に戻り、すっかり空き家臭くなっている中、2階の書斎にまっしぐら、閉め切っていた窓をすべて開き、書棚の隅から隅まで眺めて、ようやく古い1冊を見つけ出した。
私が日本に帰ってすぐのころ購入したものだから、7、8年前に翻訳刊行されたフランスワインの本。
2時間後、私は思いがけない事実。知らなかった逸話に出会ったのだった。
奇跡のシャンパン・MONOPOLEの物語
1916年、折しも第1次世界大戦のさなか(もちろん当時は“第1次”などとはいわなかったが)ロシア皇帝ニコライ2世は、フィンランドに駐留するロシア海軍の大船団の将校たちのために、シャンパンなどの高級酒を大量に送り、戦意向上に役立てようと考えた。
そして選んだのがエドシック社のモノポール・シャンパン、1907年のビンテージものを3000本。
それとほかのワインやリキュールなどを満載した輸送船ジョンコピング号は、サンクトペテルブルグ港からフィンランドに向けて出港したのだが、船がようやくフィンランドのラウマ市沖に差し掛かったとき、不運にも敵国ドイツの潜水艦Uボートに出会いはかなくも撃沈されてしまった。
シャンペンやワインは、冷たい北の海に輸送船もろとも沈んでいったのだった。
歳月は流れて1988年。フィンランド政府は、このジョンコピング号の引き上げに成功した。サルベージュ技術の画期的な進歩によるものであった。
そしてジョンコピング号の中からおびただしい酒瓶が、なんと無傷のまま発見されたのだ。
なぜ72年もの長きを、シャンパンたちは無事だったのか。
それは、海底64メートルという深さは、シャンパンを劣化させる最大の要因、日光を遮るに充分であること。それに加えてシャンペンの保存に適した安定した水温。ボトル内のガス圧とほとんど同じ水圧に包まれていたこと。
この、光、気温、水圧の偶然と、シャンパンそのものが、質の高い長期熟成に耐えうる高品質であったことなどが、モノポール・シャンパンを生きながらえさせてくれたのであった。
なるほど、こういうことだったのか。この、北の海から戻ってきたシャンパンの復刻品が、いま発売されたわけか。
調べてよかった。
知ったかぶりの自己満足で、大恥をかかずにすんでよかった。
関西の彼にメールを打った。
お礼と一緒に、調べた結果を報告したのだが、しばらくのちに返事メール。
『わざわざお調べになったんですか。明治屋のホームページにも書いてありましたよ。ぼくはそこで知ったんですが。』