日々是好日

未紗が幾度めかの転倒をして、大腿部骨折の手術をしたのが、昨年12月初めのことだった。

そのときのどたばたぶりと、そののちに続くであろう介護、看護の日常についてこの場所に書いてから、もう2カ月近くたってしまった。

その間にはクリスマスがあり、年末年始があり、世間には特殊な日々が流れていたのだが、私たちにとってはまったく平穏な、ただただときが静かに流れているような、面白くもおかしくもなく、といって不愉快でも苦痛でもない、毎日が続いていた。

だからこのページを更新しなかった、といいわけをしているのではなく、書くことがないから書かなかった、と開き直っているのでもない。書く気がしなかったから書かなかった。ただそれだけのことだ。

だが、私のこの姿勢があらぬ誤解なり心配なりを引き起こしてしまったようで、なにか不幸なことが起こったのではないか、とか、ひとにはいえない事態になってしまっているのではないか、などと勘違いされていたようだ。

どうして更新しないのか、と直接尋ねてくるひともいたが、それに答えるのも面倒な気がしてそのままにしておいたので、かえって誤解、心配を増幅させてしまったこともあったようだ。

 

なにも書く気がしないということに変わりはないが、それがかえって迷惑をかけていることに気付いたいま、この2カ月間について改めて報告する。

 

転倒、骨折し、横須賀の大きな病院に担ぎ込まれた未紗は、ふつか後に手術を受け、その後7日間の入院生活を送り、再び施設に戻った。

2年前に反対側の大腿部を骨折して運び込まれて手術を受けたのも、同じ病院。執刀してくれた医師も同じ。病棟も同じ。看護師も当時のひとが数人いて、

「あら、みささん、また来ちゃったの」

「お帰りなさい」

などと、不思議な迎え方をされ、未紗本人も意識が混濁している中、なにか安心しているような、喜んでいるような反応を示したものだった。

 

退院したといっても、もちろん全快したわけではなく、2年前もそうだったように、リハビリは自分でやってください、といった形なので、2年前は逗子の病院、今回は葉山の施設に戻ったにすぎない。

だから、前にも増して未紗の日常はリハビリ中心になり、いままでは週に2回整体マッサージ師が来てくれていたのに加え、さらに週2回、理学療法士というリハビリ専門のひとが来てくれて、それぞれが筋力をつける運動なり、立ったり歩いたりの訓練などを施してくれている。

そのほかにも、車椅子のままだが、コーラスに参加したり、クラシック歌手やシンセサイザーのミニコンサートに坐ったりで、未紗もなかなか忙しい。

まだ自分ではうまく食事ができないので、3食とおやつは食堂かラウンジに連れていってもらってみんなと一緒に、介助を受けながら摂る。

事故の前は、週に2、3回、未紗と私ふたりで、部屋でランチを摂るようにしていたのだが、それは無理なので、ふたりきりの食事はいまはなくなっている。

その代わり、というわけではないが、この2か月、おやつの時間が終わった3時半か4時にかけて私が出かけていき、未紗の部屋で夕食までの2時間余りを過ごしている。

未紗は、少し背を起こしたベッドに横たわり、私はそばの寝椅子でのひととき。

少し前、施設のケースワーカーの責任者に、
「あれほど明るくて、気を遣ってくれていた未紗さんが、このごろは言葉も笑顔も少なくなって心配です」

といわれたのだが、部屋でふたりだけになったときの未紗は、それが嘘のようによく話すし、笑顔も見せる。

言葉は不明瞭で、なにをいっているのかわからないことも多いが、それでもおしゃべりをしたり笑顔になったりしてくれるのは、私も介護、看病の一助になっているのかと、少しうれしい。

2、3日前も、未紗がいった。

「こないだの絵、どうした?」

「絵? なんの絵?」

「ほら、青と紫の。あの絵、すごくよかったの。どうしたの?」

「未紗が絵を描いたの?」

「違うわよ。わたしはこんなだから、描かないわよ」

自分が病身だということはわかっているようだ。

「じゃ、だれが描いた絵なの?」

「やだぁ。自分が描いた絵のこと、忘れてるの?」

未紗はくすくすと笑った。どうやら私がなにか絵を描いたらしい。

「あの絵、すごくよかった。感動的だったのよ。だから、なくさないでとっておいてね」

「うん。そうしよう」

振り返ると、未紗は目を閉じて眠りにはいろうとしている。

未紗には、自分だけの、不思議な、そしてなにやら楽しげな世界があるようだ。

以前には、この病独特の幻覚にさいなまれ、怖いひとに襲われたり、たくさんの猫に見舞われたりし、そのたびの怯えたり、叫んだりしたものだが、いまのような楽しい“夢”なら、かえって邪魔したり、否定したりしないほうがいいかもしれない。

 

こうして夢の続きにはいっていった未紗の隣で、私は持っていった本を読む。

6時少し前、未紗を起こし、部屋の前のスタッフを招き入れ、車椅子に移し、トイレに行くなら行き、それから階下の食堂に連れていく。この作業も私が行うことが多い。当初は怖かったのだが、最近ではかなり上達した。

未紗が、

「一緒に食べましょうよ」

というのを、

「しっかり歩けるようになったらね。リハビリ、頑張るんだよ。明日また来るからね」
なだめすかし、私は別のエレベーターから帰る。

6時過ぎ。すぐ近くのワンルームマンションでは、2匹の犬。プーリーとドゥージーが待っている。

 

前回のおしまいにも書いたように、いまの私には、未紗と2匹しかない。そしてこの毎日が、私には楽しく、うれしい。

 


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