花の配達人
朝の散歩から帰ってくるのがだいたい10時。
犬たちに朝食を与え、おもむろにスマホを開く。小さな楽しみのときだ。
今日はなんの花だろう。
この朝は、菊の花だった。
見事に咲き誇るいくつもの菊の花が、スマホの小さな画面に浮かび上がる。
立ち上がって、未紗の写真の前にその画面をかざし、
「見てごらん。今日は菊の花だよ」
写真の未紗が、かすかに頷いて、微笑んだようだ。
これが、毎朝の、いま流行りの言葉でいえば、ルーティンになっている。
花の写真は、ときには花ではなく、料理であったり、家族写真であったりするが、もう9か月も続いているのだ。
未紗が何度目かの、そして最後まで続くことになった入院生活に入ったのは、今年の3月初めだったが、そのときから私のスマホに写真が届くようになった。
最初は、いますぐに駆けつけます、といってくれたのだが、それだけはやめて下さい。お気持ちはうれしいけれど、かえって迷惑だから、とかなり強い口調でお断りした。
彼女は、どうしても駆けつけたい。新幹線だったか、飛行機だったか、そのチケットをいまから手配する、といっていたが、私の強い言葉と、あるいは電話の向こうで家族の説得もあったのか、ようやく諦めてくれ、その代わりということではないだろうが、毎朝の写真になった。
初めは季節柄、まだ咲き初めの桜の枝だったが、それが日に日に大きく開き、やがて満開になる。
その写真の移り変わりと、病室の窓から見える桜並木が、私たちの疲れた気持ちをわずかにでも癒してくれるのであった。
写真は毎日続いた。
彼女の家の近くには、かくも多くの花が咲き乱れているのか。そして彼女たちは、そうして花を愛でる日々を送っているのか。うらやましい気分でもあった。
写真は、4か月のちに未紗が逝ってしまってからも続き、いまに至っている
未紗がいないから、もういいよ、といったが、テリーさんと未紗さんの心に送らせてください、といわれれば、ありがたく受けるよりない。
最近では、近づくクリスマスに備えての、彼女が作った華やかな料理の数々や、可愛いデコレーションの写真もあれば、家族で訪れた名高いリゾートホテルの素晴らしい朝食のようすなどもある。
美由紀さんと家族のふたり、いつもありがとう。いまの私の素直な気持ちを、なんとか伝えたい。
加藤美由紀さんという。
関西きっての高級住宅地、芦屋に、日本有数の企業の高いポストに就くご主人と、やはり有名中学に通う少年。それに2匹の室内犬と暮らす美由紀さんは、本人も名の知られた料理研究家だ。
イタリアン、フレンチ、オリエンタル、そしてロシア料理など、幾冊もの料理本を出しており、現在も全国ネットのテレビの料理番組を持ったりして、忙しく活躍している。
まるでセレブの条件をすべて備えたような家族だが、その3人が揃って私を見守ってくれているというか、陰で支えてくれているのだ。
加藤美由紀さんは、もともと、年齢はずいぶん違うが、未紗の友達だった。仕事上の付き合いといったほうがいいか。
未紗がある女性誌の責任者だったころ、若い加藤美由紀さんはその雑誌の料理ページのしばしば登場してくれていた。
名家のお嬢さんで、大手広告代理店に勤務したのち、数年かけてヨーロッパ各地を回り、滞在し、その地の著名な料理人の指導を受け、帰国して料理研究家として独立。マスコミ各誌、各局に登場するようになった。未紗もそうした関係者のひとりだったのだ。
そのころの美由紀さんを私は知らない。
美由紀さんが初めて私の前に現れたのは、私たちがカリフォルニアのパームスプリングスに住んでいたころだから、もう20年も前のことだ。
以前未紗と一緒に働いていた女性編集者3人とともに訪ねてきてくれた美由紀さんは、10日ほど滞在したが、その間、地元のマーケットで買い物をし、わが家のテーブルに連日素敵に洒落た料理の数々を飾ってくれた。
お返しに、4人の女性をゴルフに連れて行ったのだが、コースデビューがPGA・WESTという、信じられないようなひとも、そのとき生まれた。
こうした出会いの後、10年ほど交流はなかった。
私が美由紀さんと再会したのは、日本に帰ってきてしばらくたったときで、やはり数人の女性とともに、そのころ暮らし始めた豊洲の高層マンションに遊びに来てくれた。
そしてそのとき、美由紀さんが結婚し、男の子も生まれ、いま芦屋に住んでいるということを知ったのだが、未紗は当然知っていて、私のついていけない話が、女性たちの間で弾んでいた。
美由紀さんが、今度は家族とともにやってきたのは、私たちが葉山に移ってきてから。いわゆるゴヨーテーを訪ねてくれたのだ。
5人は、私の家で、そして近くの有名寿司店で、大いに語り、大いに食し、大いに飲んだが、その帰途、美由紀さんのご主人Yさんが、すっかり酔ったらしく、なにを間違えたのか、
「テリーさんって、いいひとだなぁ。大ファンになったよ」
大声でいっていたという。
それからしばらくして、未紗の入院生活、施設暮らしが始まったが、その間にも美由紀さんは幾度も訪ねてくれ、見舞ってくれた。そして、最後の入院から、毎日の写真メールとなったのだが、そのころまで私は、なぜ美由紀さんたちがこのように親切にしてくれるのかわからなかった。
まさか、家族3人が私の「大ファン」になったわけだけではあるまい。
その理由を知ったのは、最初に書いた、未紗の入院に駆けつけるかどうか、というときだった。
どうしても駆けつけたいという美由紀さんは、電話口で泣きながらいったのだった。
「わたしがいま幸せでいられるのは、未紗さんのおかげなんです。わたしたちが結婚するとき、いろんな難しい問題や、悩みがあったのを、未紗さんはみんな丁寧に聞いてくれて、相談に乗ってくれて、励まして、応援してくれたんです。未紗さんは、わたしたちの大恩人なんです」
どうやら私の知らないとき、知らないところで、電話や手紙でそんなやり取りが行われていたようだ。
未紗が、美由紀さん一家に幸せを届けたのか。
未紗が幸せをもたらせたのは、私に対してだけではなかったのか。
やはり未紗は、素晴らしい女性であった。