未紗がたくさんいる部屋で
3週間近くたった。
この間、私はなにをしていたのだろうか。
慌ただしく、訳がわからないままにときが過ぎていったようにも、結局なにもしないうちに時間ばかりが流れていったような、そして自分自身がここにいないかのような、不思議な感覚にとらわれていた3週間であった。
だが、これだけはいえそうだ。
いなくなったはずの未紗が、これまでのどのときよりも私のそばにいる。
誰よりも近くに居続けたはずの私の未紗だったのに、いまほどそばにいたことはなかった。そんな気がする。
未紗が帰ってきてくれてから1週間たった日、祭壇、といっても部屋のキャビネットの上段を空けてそこに遺灰や写真などを備えただけのものだが、その祭壇を並び替えた。
遺灰の隣に1体のアンティーク・ドールを立たせた。その前に飾った写真と合わせて、そこに未紗がいるように、と考えたのだ。カソリックの祭壇にマリア像が置かれているのと同じだ。
この人形が、自分になぞらえられたことを、未紗はきっと喜んでくれるはずだ。なにしろ40年余り、私たちの結婚生活とほぼ同じ長きにわたって、ずっとそばにいてくれた人形なのだから。
人形と私たちの出会いは、41、2年前のロンドンだった。
ロンドンの街並みを歩いていた私たちは、マーブルアーチのアンティーク・ショップを覗いた。ショーウィンドウに出ていた、よそではあまり見たことのないブルーデニムの男物のトレンチコートが気になったからだが、私がそのコートを試着したりしている間に、未紗がこの人形を発見した。
ひと目で気に入ったらしく、そのコートを買ってもいいけど、この人形も一緒に買いましょう、という。
値段は、確か当時のレートで30万円ほどだったと思うが、私が未紗の申し出を却下したのは値段のせいではない。
この旅行は、ロンドンを皮切りに、パリ、ミラノ、ヴェネツィアと、その後も繰り返されるお決まりコース。その最初の地で、そのような嵩張り、フラジャイルな買い物をしてはあとが大変だろう。そういってなんとか未紗を説得したつもりだったのだが、未紗は大いに不満だったらしい。
結局私もコートを諦めて、ホテルに帰ったのだが、未紗の機嫌が恐ろしく悪い。食事にも行きたくない。ホテルのラウンジにも降りない。疲れていることもあってか、さっさとベッドに潜り込んでしまった。まだ7時過ぎなのに。
私もいささかむっとしたので、ひとり部屋を出て、ホテルの階下のバーカウンターに向かったが、そのエレベーターの中で気が変わって、そのまま外に出た。
そしてアンダーグラウンドに乗って向かったのがマーブルアーチ。
あの人形は、同じ場所に立ち、同じ表情で、出戻りの私を待っていた。
ふわふわの毛布のような布に包まれた人形を抱いて部屋に帰った私を、仕方なくテレビを眺めていた未紗は、
「ひとりでどこに行ってたのよ」
と睨み付けたが、テーブルの上にそっと置かれた人形を見るや、きゃっと悲鳴を上げ、まるで生まれたばかりのわが子に接する母のように、恐る恐る手を差し伸べるのだった。
それからの長い旅行のあいだ、新たに購入したショッピングバッグが、ずっと未紗の膝の上にあった。
そんなわけで、この人形は、私たちにとって子供のようなものなのかもしれない。
長い歳月、何度もの引越しなどを経たこともあって、当初の衣装はやがて擦り切れたり、ほぐれたりし、アンティーク・ドールの第一人者ともいえる桑原美恵さんに頼んで新しい衣装を仕立ててもらったし、ニューヨークに住んでいたころには、左ひじの関節が壊れて、イーストサイドの有名なアンティーク・ショップで修理してもらったこともある。
そのとき店主に、この人形の詳しい話を教えてもらったのだが、それが私たちの、わが子に関する初めての知識でもあった。
わが子は、19世紀中ごろ、ドイツはババリア地方に生まれたらしい。フランスのプーペ・ジュモーには及ばないにしても、その世界では長く人気を誇ってきたといい、2万ドルはするだろうね。いい仕事をしてますねぇ、といったようなことも、店主はいっていた。
その人形が、いま母親の隣に立っているのだ。
祭壇を並び替えた数日後、今度は部屋の壁に2枚の絵を描けた。
カシニョールの2点。
ひとりの女性が森の中で自転車を押している絵と、夏の帽子をかぶった女性が斜めに向いてこちらを見ている絵。
自転車のほうは、これも40年ほど前にパリで買ったもので、帽子のほうは、これは日本に帰ってきてからだから7、8年前に日本の画廊で購入したもの。
もともとカシニョールは、私と未紗が結婚前から、まだカシニョールがいまほどの人気もなかったころからお気に入りだった画家で、先取り精神のような意味もあって自転車の絵を手に入れたのだった。
カシニョールがなぜ気に入ったのかは、未紗と私では多分違うだろうが、私の場合は、カシニョールの描く女性が、未紗によく似ていたからだ。少なくとも、私にはそう感じられた。
だから、未紗のような女性をモデルにし、あるいは念頭に置いて『カシニョールなひと』という短編を書いたこともある。
こうして私と未紗の新しい部屋には、1体の人形と2点の女性図が加わって、一挙に華やかになった。
狭い部屋なので、私がどこにいても、なにをしていても、必ず未紗の写真と、人形と、2枚の絵が私を見ている。私に見られている。
これほどたくさんの未紗と一緒にいられたことは、かってないことだ。
しばらく、というか、これからもずっとというか、こうした未紗だけとの時間を大切にしていきたい。つくづくと、しみじみと、そう思う。