マリアになった未紗
多くの方から電話やメールなどで尋ねられる。
「未紗さん、いかがですか」
そして私が、いまは集中治療室から個室に移っていると答えると、
「そうですか。よかったですね」
ほっとしてくれるが、実はそうではない。
集中治療室に運び込まれ、私も深夜に呼び出された夜から、1週間ものあいだ、未紗は人工呼吸器や数本のチューブにつながれたまま、意識のない時間を送っていたが、その部屋は一般病室と違って、家族といえども何時間もそばにいてやることはできない。せめて30分しか未紗を見守っていることができない。
だからそしてその日も、昼下がりの比較的静かなときに訪れたのだが、集中治療室のインターフォンを押すと、
「奥さまは6階の病室に移られました。ご案内します」
看護師の声が返ってきた。
私も、よくなったんだ、よかった、と崩れ落ちそうな安堵感を抱いたのだったが。
これほどの大きな病院なのに、集中治療室は全館にひとつ。5、6台のベッドしかなく、そこに内部からはもちろん、救急搬送されてきた急病人たちもいる。
危険な状況ではあっても、すぐに急変の恐れの少ない患者は、さまざまな治療、測定器具などをつないだままの状態で一般病室に移らされる。
だから私も、その日から毎日長い時間未紗のそばで過ごせるようになったのだが、危険な状況にあることには変わりはない。
ベッドサイドの椅子で何時間も過ごし、枕元の機械が少しでもアラームを示すと、うろたえて呼び出しブザーで看護師を呼ぶ。
夕刻に病室を辞するころには、連日ぐったりしてしまうこのごろ。
あの緊急呼び出しにあって以来、酒を飲んでいない。
外に食事に出かけると飲んでしまうので、犬たちもいない寂しい部屋で、ひとり鍋、ひとり焼肉。飲み物はポットに作ったウーロン茶という毎日。
だが、そのウーロン茶のカフェインが利きすぎるのか、疲れ果てているはずなのに、眠れない。睡眠時間、2、3時間。
その話を、冗談交じりに主治医にすると、
「そうして無理をすることが、奥さんのためにもよくないですよ。自然体でいてください。少しなら、酒でも飲んで、ぐっすり寝てください。緊急の呼び出しがあっても、治療に携わる訳ではないんですから、タクシーで来ればいいじゃないですか」
それに、あれ以来緊急呼び出しはないでしょう、という。
そういわれて、ある夜、近所の小料理屋、まさきち、で魚料理と酒、のひとときを過ごした。
その夜は、いわれたように比較的よくやすむことができ、なるほど、と感じたのだったが、次の夜、今度は部屋で、やはり軽く一杯、といくつもりでいると、なんと、ビール一杯で目が回ってきて、胸苦しくなってしまうではないか。このまま、逝ってしまうのか。そんな気分になった。
だから、
『もしこのまま、目覚めなかったら、未紗に呼び出されていったのです。』
と、わけのわからないメモをテーブルに残して、崩れるように眠りに入ったが、メモは翌朝、丸めて捨てた。
未紗の“できごと”以来、私の体質までもが、変わってしまっているのかもしれない。
その日、病室をひとりの聖職者が訪れた。
逗子聖ペテロ教会、の木下牧師。
信徒ではあっても、いまだに洗礼は受けていない未紗に「病人の按手」と「塗油」、そして「洗礼」を施すために来てくれたのだ。
黒の裾長の牧師服姿の師は、意識のない未紗の枕もとでしばらく祈りを捧げたのち、黒服の上に白い上着を羽織り、片手に祈祷書、片手で未紗の頭を幾度かの「聖水」で濡らし、さらに祈った。
私もベッドの足元に立ち、小声で唱和する。
「アーメン」
こうして未紗は、常に神が傍らにいてくれる、ひとりぼっちで旅立つ不安のない、神の“子羊”になったのであった。
洗礼名、クリスチャン・ネームは、マリア、となった。
最後のときが近づいたからの洗礼ではない。
葉山に移ってきてから、いつかは受けなければならないと思っていたのだが、それがいまになったのだ。
逗子聖ペテロ教会は、聖公会、に属す。
だから私たちは、ここを選んだ。
キリスト教、というものに大いなるシンパシーとリスペクトを感じながら、私たちがこれまで入信しなかったのには、ある不安とためらいがあったからだ。
職業柄もあって、昔から宗教史、思想史の書を読んできて、いつかは、とは思っていた。
だが、コンスタンチヌス大帝から始まるカソリック教会。つまりバチカンの法王庁を頂点とするローマンカトリックの傲慢と、過剰なる権威主義。はっきりいえば腐敗と夜郎自大。長い歳月をかけて、ついには失敗に終わった十字軍のおける、フランス・カトリックの卑劣な収拾策、弥縫策。
それが中世の話にすぎないとわかってはいても、いまひとつ馴染めないものはあった。
それに対するドイツを起源とするプロテスタントも、聖書原理主義ともいえる頑迷さや狂信性。フィレンツェのメディチをいっとき崩壊させた宗教改革の嵐など、これもまた中世の話ではあっても、その余裕のなさなどにも抵抗を感じてはいた。
こうした発言は、あくまで私個人の、もしかしたら誤った感想にすぎないのかもしれないが、信仰というものはそうしたものであろう。
こうして一歩を踏み出せずにいた私たちの前に現れたのが、聖公会、であった。
聖公会は、キリスト教会の大きな一派ではありながら、カトリックでもプロテスタントでもない。
その双方からの流れを受け、どちらにも共振する、そしてどちらとも距離を置く、悪くいえば旗幟が鮮明ではない、よくいえば融通の利く教義。
英教会、に比較的近いので、いわゆる“総本山”は、ロンドンのカンタベリー大寺院(大聖堂)。
この、聖公会、の、一神教らしからぬ穏やかさが、私たちの胸にすんなりと溶け込んできた、ともいえる。
こうして未紗には、ともに旅立ってくれる、というか、導いてくれる存在が生まれた。
もし旅立っていっても、未紗はひとりではなくなった。
40年余りも、未紗は私にずっとついてきてくれた。間違った道、無駄な歩みではあったかもしれないが、未紗と私は同じ道を歩き続けてきた。
未紗には、私しかいなかった。
だが、これからは、神、が未紗を導いてくれる。
しかし、旅立ったのちに、未紗が私の心にそっと降りてきて、やっぱり一緒に来て、と囁いたら、私は、やっぱり一緒に、行くだろうな。
意識もなく眠り続けている未紗を、いまも私は見守り続けている。