シーサイド葉山の呪縛

森戸海岸のこのワンルームマンションを購入してもう半年。大がかりなリノベーションを経て、実際にここで暮らすようになってからでも2カ月余りたっている。

森戸海岸に移ったら、毎晩のように飲み歩いたり食べ歩いたりするでしょうね。

多くのひとにいわれたのは、閑静な住宅地であるゴヨーテー近辺と違って、新しいところにはピンからキリまでたくさんの飲食店、レストラン、居酒屋、スナック、すし屋だ飯屋だ飲み屋だが集まっていて、新しい部屋でじっとしていることなどできないだろうという、なかばからかいの気持ちのこもった予想だったのだろうが、ところがどうして。案に逆らってこの2カ月余り、私はほとんどというか全くというか、そと飲み、そと飯がない。

シーサイド葉山の呪縛今年に入ってから、週に2、3回は未紗の暮らしている施設の、未紗の部屋でふたりだけのランチをとるようにしているので、それをそと飯というならいえないことはないが、しかし未紗の部屋なのだから、私にとってもうち飯といえる。

そうでないときには、小さな部屋の小さなキッチンでちょこちょことなにかを作って、2匹の犬たちと一緒に食事をするというのが日常になっている。

どうしてかといえば、季節的に真冬だったため、夜にわざわざ出かけていくのが億劫だったこともあるし、狭い部屋に移ったことで逆に寂しがりになったように思える2匹のため、できるだけ一緒にいてやろうとしていることもある。

それにもうひとつ。これまで飲みに行くにしても食べに行くにしても。ほとんどの場合未紗が一緒だった。あまり馴染みではない店に、ひとりで行ってもなぁ、という消極的な気分もないわけではない。
だから、食事らしい食事といえるのは、未紗と一緒に食べるホームの昼食だけだが、

「ちゃんと食事してるの」

と未紗が毎回のように心配してくれるように、男ひとりろくでもないものを食べて済ませている、というわけではない。

お手軽には違いないが、栄養的にも量的にも、73歳の高齢者にしては充分すぎるだけの食事はしている。

例えばランチは、パスタをさっとゆでて、リトルトのラグーなり、ウニやカニのソースと和えた皿に、ユニオンで買ってきた日替わりサラダを添えて、というもの。

例えばディナー、というのはいささかこそばゆい。晩飯は、といえば小さなタジン鍋に野菜炒め用のカット野菜をどさっと。その上にしゃぶしゃぶ用の肉を包み込むように広げ、焼き肉のたれとオリーブオイルをかけてIHにかけたもの。それにやはりユニオンの筑前煮なんかを添えて。

肉などの多くは、そばにくっついている犬たちにとられてしまうが、それにしてもなかなか合理的な食生活ではないか。

そんな食事をしながら、私はひとりと2匹のために毎日を生きているのであります。

といってからふと考えた。

外に出ないで部屋で過ごすという形は、私の個人的な話ではなく、もしかしたらこのワンルームマンションがそうさせているのではないか。

シーサイド葉山、という存在そのものが。

 

シーサイド葉山、という建物は、いまでこそ50室あまりのワンルームマンションになっているが、36年前に建てられた当時はホテルだった。

だからこの建物の玄関を入った場所には小さなフロントのカウンターがあり、その前にソファふたつだけのこれも小さなロビーが残っている。というか、いまも管理人がいて、ロビーでは居住者が新聞を読んだりしている。まさにヨーロッパのふたつ星ホテルの表情なのだ。

ホテルの時代からここで働いているという管理人。当時はフロントマン、といわれていたそうだが、そのおじさんがいっていた。

「あの頃ここは“お忍びホテル”といわれていたものですよ」

私も知っている。覚えている。

 

懐かしい昔話だ。

シーサイド葉山の呪縛あの頃の私は、新しい恋人ができるたびに、いや、俗ないい方をすると、女が変わるたびに

「海を見にいこうよ」

の決まり文句で湘南に連れてきて、1泊か2泊していた。

そのときの宿泊先は、逗子海岸の渚橋寄りにあった、20年ほど前に閉館し、いまは確かファミリーレストランに姿を変えている、逗子なぎさホテル。

小さなホテルだったが、全体に大正ロマン。華族の別荘といったような瀟洒で、それでいて高級感漂う。そんな場所だった。女の子たちはその雰囲気に、まるで映画の主人公になったかのような気分になり、私たちの小さな旅は満たされたものになる、というわけだった。

その逗子なぎさホテルを舞台に、その名も『逗子なぎさホテル』と題して1本の短編小説と1本のラジオドラマを発表したこともある。ごく近年になって伊集院静さんが同じ題名の本を出したそうだが、小説かエッセイ集か、まだ読んでいない。

そんな便利な逗子なぎさホテルだったが、ただひとつの難点は、一部のひとたちにだけだろうがよく知られていたために、フロントや2階のレストランなどで知り合い、顔見知りにばったりと出会うことが少なくないということだ。

シーサイド葉山の呪縛私も、朝ふたりでレストランに行こうとすると、階段の上下、踊り場あたりを使って写真撮影が行われていて、慌てて部屋に逃げ帰ったことがある。当時私が定期的に書いていた女性週刊誌のファッション撮影で、よく知っている編集者やカメラマンの姿もあった。当然彼らは、私のツレをも知っているはずなので、ヤバイ、ヤバイとなったわけだ。

そんなときにオープンしたのが、ホテル・シーサイド葉山。

シーサイド葉山は、確かに海の景色は素晴らしいが、ホテルそのものは逗子に遠く及ばない。ファッショングラビアの撮影など考えるひともいないだろう。

部屋も、中が6畳間と4畳半に分かれていたりして、はっきりいってダサイ。

それだからこそ“お忍び”にはぴったりだった。

部屋から出ずに、窓外に広がる湘南の海や富士山、江の島などを、肩を抱いて眺めているだけで充分にロマンティックだし、1階の地中海レストランにはフロントを通らずに行けるし、個室もあった。

私はそのころには残念ながら結婚していたので、未紗と一緒に訪れたことにしなければならないが、3回のうち2回まで、知り合いの芸能人がやはり知り合いの女性芸能人と来ていたことを確認している。

というように、昔のシーサイド葉山は“お忍びホテル”だったのだ。

“お忍び”客たちはほとんど外に出ず、食事も部屋か、館内のレストランの個室でひっそりと。

そのころの名残りで、いまの私たちもワンルームの中で食事も酒も静かに済ませるのだ。

私がほとんど飲み歩かない。食べに出ない。そのわけをお分かりいただけただろうか。

これを“シーサイド葉山の呪縛”という。あははは。

 

シーサイド葉山の呪縛

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