忙しくも季節は流れ
静かにのんびりと、テレビ言葉でいえば、まったりと日を送っている私だが、周辺では季節が急速に進んでいるようだ。
温かくなったと思えば、思いがけない寒さがぶり返してきていたしばらく前に比べ、三寒四温どころではなく、一寒四温か五温ほどだろうか。もうすっかり春。ときには初夏の気配さえ感じさせる。
だが、油断していると先日のように、クリーニングから帰ってきたばかりのコートを再び着る羽目になったりするから油断がならない。
だが、やはり季節は確実に進んでいる。
つい先日、住民票が必要になって、面倒くさいな、とぼやきながら葉山の町役場に出かけたときのこと。そう、葉山は「誇り高い」三浦郡葉山町、なのです。
町役場の駐車場の入り口が、なぜか「出口専用」になっており、ずっと遠くに迂回させられた。まったく、もう、と口をとがらせ、大回りして駐車場に入って驚いた。
駐車場のうしろに続く広い法面全体が鮮やか、豪華な色彩の群れに覆われているではないか。そして傾斜地に続く小さな公園一面も、ゴージャスなパッチワークのように、別世界を描き出している。
そう、満開のつつじが空気を染めている。
そんな花園を、数多くのひとたちが、目の前の駐車中の車の列が画面に入らないようにレンズを上に向けて、写真に撮っている。
駐車場を迂回させられたわけがわかった。
みんな、こうした季節情報に敏感になっているんだな。
次の日だったかな。
いつものように、プーリーとドゥージーの散歩。
森戸海岸の北の端まで歩き、コンクリートの堤防に坐り、水を飲ませ、背中を揉みモミし、爽やかな潮の香りを吸い込んで、少し休憩。
来たコースを逆行し、ほかの散歩犬や、そぞろ歩きのひとたち、海に出入りするサーファーたちをかいくぐり、海岸の反対側の、今度は石の堤防に達する。
いつもはここでもうひと休みして散歩は終わるのだが、そのときは思いがけない眺めが目に飛び込んできた。
細い川を挟んで森戸神社の森と社殿が広がるのだが、その川の上にいくつもの鯉のぼり。川を挟んでロープで渡されており、海からの風にゆったりと、まさに泳いでいる。
ちょうど干潮どきで、川の底は砂浜のように開けている。
いつもは半分以上水をかぶっている石段で、下まで降りてみた。この年になってくると、手すりのない階段は少々怖い。
しかし、2匹は大喜びだった。
頭上の大きな鯉がふわーっと流れるたびに、追いかけて走る。
鯉の尻尾が地をかすめるように降りてくると、驚いて逃げる。
もう鯉のぼりか。
この2匹も男の子。端午の節句か。
さらに次の日、バスと電車を乗り継いで本郷台というところに行った。
逗子から大船に出て、そこから根岸線でひと駅。普段なら何の用事もないところだ。
駅を出たロータリーは、広い。
いや、広く見えたのはロータリーを囲む建物が、いずれも低いためだった。
ビルではなく、ほとんどが2階建て。あたかも開拓地の街並みのように連なっている。通行人の姿も駅前と思えないほど少ない。
だが、視線を振ってみて、それが駅前の姿だけなのを知る。
低い商店の列の向こう、はるか高みには10階かそれ以上と思える集合住宅。団地というかコンドミニアム、アパートメント。日本風にマンションといえばいいのか、そんな建物が駅を遠巻きにしてずらりと建ち並んでいる。
新しくできた典型的なベッドタウン。ここから何万人というひとが、東京へ、横浜へと通っているのだろう。私など2度と来ることのない街だ。
今日行くリリスホールがなければ。
リリスホールは、横浜市栄区の区民文化センターにある。いわゆるハコモノ行政の一環だが、その立派さはなかなかのものだった。いくつかのホール、会場、公共施設に別れている中のひとつ。
そこで開催されているのが、今宵は、
Jazz Night
Joonas Haavisto Trio
なるトリオは、なんとフィンランドのジャズメンたち。
日本で、ヨーロッパで、そして本場ニューヨークで、多くのジャズを聴いてきた私だが、フィンランドのジャズは初めてだ。
どのようなサウンド、アンサンブル、ジャムセッションを聴かせてくれるのか、楽しみであり、不安でもあった。
3か月ほど前に、葉山の近代美術館で、ヘレン・シャルフベック、というフィンランドの女流画家の美術展を見て、その重い、暗い、ときには生真面目すぎる画風に、感銘を受けるのと同時に、少し気持ちを斜めにしてよける思いもあったので、このジャズはどうなんだろうか、との身構えもあったのだ。
ニューヨークのジャズクラブのように、ビールやバーボンを傾けながら、かなとも想像していたのだが、会場はまるでクラシック、弦楽四重奏あたりが似合いそうな静かな、気品もあるホール。
写真撮影禁止。携帯電話は電源を切る、など注意事項も多い。
期待は少しずつ冷めていく。
だが、ジャズ演奏が始まって、私の不安は解消した。
ヨーナス・ハーベスト ピアノ
アンティ・ルジョネン ベース
ヨーナス・リーバ ドラム
曲はすべてオリジナル。主にヨーナス・ハーベストの作だが、聞きやすい英語での本人の曲紹介、解説によると、さまざまなとき、さまざまなところで彼が感じたことを曲にしたという。
どうしてそうなるのかは、ま、ものごとの感じ方はひとそれぞれだ、ということだろう。そこを深く追求しなければ、ジャズとして楽しかったし、引き込まれるものもあった。
全体にフィンランドらしい生真面目さ、田舎っぽさ、そして思いがけないスゥイング。
中に、「新宿で感じたこと」なる1曲があって、
どこが新宿やねん
私と友人は顔を見合わせたものだった。
帰り、逗子のワインバーで、この夜のジャズについて大いに語り合えたのだから、有意義なひと夜であったことは間違いないだろう。
週末、葉山の一色、そう、しばらく前まで私が住んでいた「サヤマのゴヨーテー」の近くでの、
Nowhere CINEMA
という催し物に行ってきた。
あのころ毎日のように前を通っていた、浜に近い古民家を開放して、映画鑑賞とバーベキュー。よくわからないが、なにか面白そうなので。
和室ふた間に40人ばかりを詰め込んでの映画は、
STEAK REVOLUTION
遅れて行ったため入ることができず、締め切った雨戸の隙間からしか見ることはできなかったが、世界各地の牛肉の歴史、飼育法から料理法などを紹介、解説する、いわゆる啓蒙映画なのだろうか。
イギリス、フランス、スペイン、イタリア、そしてアメリカはニューヨーク。最後に日本のいわば銘柄牛、いま話題になっているらしい尾崎牛などが次々に語られていた。
映画が終わり、みんなぞろぞろと庭に出て、ビールを2本ずつ、サラダにパエリヤ。東京・芝浦から来たという焼肉シェフによるバーベキュー。
3種の肉を味わって、比べて下さい、というのだが、薄闇の中、しかも小さな肉片では難しい。
でも、乳牛であるはずのホルスタインが、案外やわらく、癖のないのは、日本人には受けるのではないか。
私には、オーストラリアのアンガス肉が、適度な硬さ、歯ごたえがあってよかった。
「肉映画」といわれれば、不思議な連想もしそうだが、面白い企画ではありました。
この企画、実は「葉山芸術祭・2016」のひとつ。
「葉山芸術祭」とは、葉山のあるいくつもの企画展、商店、ワークショップなどが、それぞれ「なにか」を見せる、聞かせる、感じさせるという、実にゆるいイベントで、中にはピッツァの焼き方教室や、個人が趣味で撮った写真展、手作りアクセサリーの店などがある。
次回は、この「葉山芸術祭」のメインイベントではないかと、私が勝手に判断するひとつのリサイタルについて話そう。