浜は生きている

風と波の音ばかりで一晩過ごした海は、朝になって動き始める。

8時になるかならないかのころ、私の部屋のすぐ前あたりから、

「オーッス!」

「おはようございまーす!」

などなど、若い男女の大声がベランダの窓越しに流れいってくる。

浜は生きているその声に、犬のトイレの掃除や朝飯の世話、自分のシリアルやコーヒーなどでこの日を動き始めていた私は、よしよしといった感じで窓辺に立ってみる。

すぐ目の前。本当にベランダのすぐ前の砂浜に、数艘の、たぶんディンギー407(ヨンマルナナ)とおぼしきヨットが船底を上にした、伏せられた姿で並んでおり、その周囲に、10人かそれ以上の若者たちが群がっている。

暖かな朝なら、私はベランダのガラス戸をあけて一歩外に出て、若者たちの、

「おはようございまーす!」

の合唱に、

「おはよう」

などと偉そうに応えるのだが、この朝は少し寒そうだったのと、冷たい小雨も降っているようなので、高齢者としては遠慮して部屋の中から手を振るが、無駄なことだ。若者たちは気づきはしない。

こうして私は室内の“作業”に戻るのだが、若者たちの賑わいはずっと続く。

2匹の犬たちは、その賑やかさにもう慣れたのか、なにも気にせず私に付きまとったり、食事をしたり、ベッドに飛びあがって早くものお昼寝体制になったり、全くのマイペース。

1週間ほど前には、そとの若者たちに向かってけたたましく吠えたてたり、うなったりしていたのだが、いまはもう毎朝のことと知ったのか。いや、油断はできない。急に思い出したように騒ぎ始めるかもしれない。

さらに30分ほどのち、外の浜から、

バリバリバリ!

ビュービュービュー!

と、まるで突然強風と豪雨が襲いかかってきたようなただならぬ物音が響く。
いつものことなのに改めて驚き、ガラス戸越しにのぞいてみると、そこに見るのはさっきまで伏せていたヨットをすべて起こして浜に立て、それぞれのセールを高々と張った姿だった。

いくつものヨットが、砂浜の上とはいえ、セールを高々と、誇らしげに広げている姿は、やはり美しい。

浜は生きている森戸海岸には、湘南の海には、ヨットのセールがなによりも似合う。
こうして若者たちは、掛け声とともにヨットを1艘ずつ波打ち際まで押して、引いて運び、それぞれに乗り込んで、セールを並べて沖に出ていき、ベランダの前の浜にも静寂が戻ってくるのだ。

 

森戸海岸の部屋に来てから3カ月たった。

来たころは、静かな海だった。

あるときはまばゆいほどの冬の太陽に輝いていたし、重く暗い冬の空に沈んでいた。一面の雪景色に包まれたこともあった。

だが押しなべて、森戸海岸には静けさがあふれていた。

だから、この浜はこういうものなのか、と思い込みかけてもいたのだが、春を迎えて浜は表情を変えてきたのだ。

こうでなくてはいけないんだな、と、そう思う。

 

森戸海岸はいくつかの大学ヨット部のベースキャンプであり、ハーバーであり、練習場所でもある。

私の部屋のすぐ前に展開するのは、日本大学ヨット部。

顔を出して左の浜に目をやると、そこに学習院大学。

右を見て順に、成蹊大学、国立横浜大学、東洋大学、日本体育大学。

どのヨット部も、よく手入れされたヨットに、シンプルながらおしゃれなデザインのセールを、誇りやかに慈しんでいて、爽やかに可愛い。

そのヨットたちが居並ぶ浜は、私と2匹の散歩コースでもあるので、私は学生たちとも顔見知りだ。いや、みな同じように爽やかで健やかな学生たちを見分けるのは難しく、むしろ学生たちのほうが、2匹の犬を引いて、いや犬に引かれて浜を歩く“変なおじさん”を毎日見て、

「おはようございます」

「こんにちは」

と挨拶してくれる。

それにしても最近の学生たちは誰もが爽やかだ。体育会なので大声を出すことはあるが、それでも印象としては物静かだ。

ヨット部ということ。ここが湘南の海ということもあるかもしれないが、全体として品がいい。少々幼いところはあるが、それがかえって背伸びしない印象で、好感度としては上々だろう。

春の海は、私に新しい楽しみをもたらしてくれている。

 

春が過ぎて、いよいよ“太陽の季節”になるとどうか。

もちろん湘南の夏には幾度も訪れているし、森戸海岸の夏も知っている。しかしそれはいわゆるビジターとしてのアウェイ経験であり、自分が住人としてのホームの海ではない。

今年の夏は、私にとって新しい夏になる。

 

大きく変わるだろうな。

まず私の部屋の前、いまはヨットが並んでいる砂浜に、今度は海の家がずらりと並ぶ。ベランダのすぐ続きが、ひとつの海の家の屋根。私はその屋根越しに海を眺めることになる。

「賑やかですよ」

と管理人はいう。

「昼は子供たちや家族連れが大騒ぎしているし、夜はビールだ、モヒートだ、ハワイアンだ、レゲーだ、フォークだ。10時過ぎまで毎晩です」

ことに昨年あたりから、隣の逗子の浜の海の家で音楽禁止の条例ができたので、逗子海岸の客たちがどっと葉山に流れてきて、賑やかさに拍車がかかるだろうという。

しかしそれもまたいいのではないか。

浜は生きている自分の部屋にいて、窓を開ければすぐ下は海の家のさんざめき。

ベランダの布の椅子に身を投げ出して、ビールかスプマンテ。

犬たちは、うーん、これはちょっと心配だな。昼夜の賑わいに、早く慣れてくれないことには。

いや、ゴヨーテーから一色海岸の海の家に連れていった3度の夏。犬たちは意外にもおとなしく、女の子に撫でられたりして喜んでいたのだから、ま、取り越し苦労はやめよう。

 

それよりも大きな心配は、花火大会の夜。

一色海岸でも花火大会はあったが、森戸海岸のそれははるかにスケールが大きく、葉山中のひとばかりではなく東京から来るひとも多いといわれるほどなのだ。

しかも花火の打ち上げ場所は、なんとわが部屋の真ん前。

「花火というものは、やはり少し離れてみるものだなと思いますよ」

戦場のただなかに坐っているようだ、というのはうちの管理人。

そうだとしたら、2匹は、その日だけでも遠くのペットホテルに行ってもらわなければならない。

犬というものは、花火とか雷など、わけのわからない大きな音に極端に怯え、狂ったようになるものだから。

そして、当日は大渋滞で、車では動けないだろうから、2泊か3泊、預けることになるだろう。やれやれ。

私たちは、面白いところにやってきたようだ。

 

浜は生きている

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