エスメラルダ物語

エスメラルダ物語エスメラルダ(Esmeralda)というカフェがあるのは、当然知っていた。

だが頻繁に、ほとんど毎日のように訪れることになったのは、ほんの2か月あまり前のこと。

8月末までは、私の部屋のすぐ前に海の家・ノアノアがあり、犬たちの散歩の後は、必ずそこでビールと軽い食べ物、というのが日課になっていた。

ノアノアも、私のためだけに、海の家メニューにはない特別の一皿(ゴリジナル)を出してくれるので、今日は欠席、ができなかったこともある。

それに帰るにもすぐの石段を上がればいいのだから、少しの遠回りでもする気にならなかった。

8月末日にノアノアが終わって、浜ががらんとなっても、今日はノー・ノアノアだよ、犬たちにいい聞かせ、石段から帰り、ベランダに椅子を出してのビールの夕べ、となる。犬たちにとっては、同じだったかもしれないが。

 

ある夜、ペットシッターの治美さんから電話があり、

「みゆきさんとエスメラルダにいるんですけど、いらっしゃいませんか」

という。プロー・みゆきさんのこと。

みゆきさんとは、治美さんに紹介されて以降、幾度か浜でお会いし、立ち話はするようになっていたのだが、そんなとき、

「テリーさんのご本を読みたいんですが、タイトルを教えてくださいな」

とはいわれていた。アマゾンで買う、という。

立ち話でいえることでもなく、メモもなかったので、それきりになっていたのだが、それを思い出して、自著のうち2冊ほど選んで持っていくことにした。

私のことを知ってもらうには、これがいいだろうと『ブナの森の葉隠れに』と『想い出だけが通り過ぎていく』の、自伝風の2冊を持参したのだが、この夜がみゆきさんと深くお話しするようになったときのと同時に、エスメラルダに日参するようになった記念すべきときなのだ。

 

エスメラルダの話で続けよう。

 

エスメラルダ物語エスメラルダ、とはポルトガル語で、エメラルド、のことで、だからポルトガル料理か、さもなければブラジル料理かと思っていたが、実は多国籍料理。

ランプ、オチボ肉の素敵においしいステーキは、ワサビで食べると感動的だ。

生ガキ、蒸しガキ。地ダコのアヒージョ(Ajillo)はスペイン。

チャイニーズとは思えない、どちらかといえばメキシカン?なチャーハン。

メキシカンといえば、ハラペーニョはパクチーが包まれていてオリエンタルなひと皿。

アオリイカの刺身は本当ならワサビ醤油で食すのだが、

「イタリアンにして」

という私のわがままで、オリーブオイル、ハーブ、黒コショウ、岩塩で、ブオーノな一品に変わった。私の食生活は、ゴリジナルもよかったが、この店のおかげでおしゃれなものとなった。

 

だが、エスメラルダ、といえば、私の立場からいえば、もっと大きな意味を持つ。

ヴィクトル・ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』。

「ノートルダムのせむし男」なるとんでもない邦題の映画が上映されたこともあるが、つまりカジモドという容貌魁偉、無教養な男が、ノートルダムの司祭に拾われて、この大教会の鐘つき男になる。

エスメラルダ物語いくつもの出来事を経て、カジモドは身も心もノートルダムと一体化していく。教会の一部となっていくのだが、そんな彼の前に現れたのが、ジプシー女(いまはロマ人種といわなければならないか)のエスメラルダ。

醜さゆえに、大衆にいじめられ、虐待されていたカジモドに、ただひとり温かい手を差し伸べてくれたエスメラルダに、カジモドは激しい恋慕の情を抱く。というよりエスメラルダを女神かのマリアのように崇め奉り、そのためには命さえ投げ出すほどになるのだった。

そして、、、、、、、、。

 

というユゴーの名作だが、カフェ・エスメラルダのテラスのテーブルで、お互いの犬を足元か膝に置いて、こんな話ができる相手はみゆきさんしかいない。

わたしがエスメラルダに通うのは、そんなひとときを持ちたいからでもある。

 

エスメラルダ物語余談もひとつ。

ビスコンティの名作映画「ベニスに死す」のラストシーン、リド島の浜の椅子に坐って老いたダーク・ボガードが眠るように死んでいく。そんなラストを自分も迎えたい。
そうした与太話をみゆきさんにしたことがあるが、すると彼女は「ベニスに死す」のビデオを早速借りてくれ、
「あの主人公がベニスにやってきた客船の名前が、エスメラルダだったんですね」

私がすっかり忘れていることを教えてくれた。このひと、凄いよ。

 

カフェ・エスメラルダの話だった。

経営者の矢ヶ崎隆夫さん、50歳ほど、はなかなかユニークなひとで、本業は不動産業なのだが、それよりもこうした飲食業に力を注いでおり、鎌倉や東京・代官山などに、共同経営ながらいくつかの店を出している。

とはいっても、ほとんどが葉山のここにいるのだから、趣味で、といったほうがいいのかもしれない。

趣味といえるかどうか。このひと、店に客がいるにもかかわらず、前の道に出てエア・ゴルフ。ゴルフスイングのカタをやっている。

実は、不動産よりも、カフェよりも、江ヶ崎さん、スポーツマン、アスリートとして名を轟かせているのだ。

エスメラルダ物語少年時代は、その名も高い調布リトルリーグの小さなスラッガーとして名を馳せ、高校野球、国士館だったかな、大学野球と続き、長じてからはテニスでも関東代表として知られる存在になった。私より四半世紀のちのことだろう。

さらに、中年期に差しかかって始めたゴルフでは、あっという間にシングルプレーヤー。数々の競技、オープン・トーナメントで上位に食い込んだ。

そうとも知らず、

「ぼくはUSGA(アメリカ・ゴルフ連盟)のハンディキャップ(向こうではインデクス)7・2まで行ったんだよ。所属コースはPGA・WESTだけど」

と、さりげなく(?)自慢したところ、矢ケ崎隆夫、涼しい顔でいう。

「PGA・WESTじゃないけど、ぼくは2・1でした」

もう嫌だ、この男。

おいしいものでも作っとれ!

 

エスメラルダでは、海の家と違って本格的な食事になるので、ビールからワインに移らなければならない。

そこにみゆきさんたちが加わると、1本では済まない。

帰宅してから少し飲みなおすので、酒量はかなり増えているはずだが、それにしてはここのところ体調はいい。気分のいい酒だからだろう。

だが、寒くなったので営業時間を変える、という。

月、火が終日休業だったのを改めて、月、火、水は6時まで。それ以外は夜10時まで開いている

。昼休みはなし。

いまは4時半でも薄暗いので、六時終了でも充分にワインのときに間に合う。

月、火を貴重な休肝日とし、あまり飲まないようにしようと思っていたのに、どうしてくれるんだ。

 

エスメラルダ物語

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