『ベニスに死す』と共に

『ベニスに死す』と共に映画『ベニスに死す』については、すでにずいぶん書いた。

近著「葉山 喜寿婚の浜」でも、それ以前、以後のこの文章にも書いた。

『ベニスに死す』は、私たちふたりのテーマであった、とも書いた。

私たちの出会いから、そののちの心の流れ、結ばれていくまでの、あらゆるシーンで『ベニスに死す』は登場してきた。私たちのいまの姿は、『ベニスに死す』に支えられ、大きく寄り添ってきたといっても過言ではない。

だが、そうしてひとつひとつのシーン、ひとつひとつの言葉、音楽などを描いてはきたものの、映画全体の、私たちにもたらした感動、衝撃、共感といったものは、まだ書いていない。いずれ必ず書く、といっていながら、いまだに書いていない。

本も出版し、パーティも開き、FM放送にも出演し、多くのひとの祝福を受け、その高揚したときもようやく治まり、心に平安を持てるようになったいま、改めて書いてみようと思う。

『ベニスに死す』について。

 

『ベニスに死す』と共に『ベニスに死す』は、いうまでもなくイタリア映画の名匠ルキノ・ヴィスコンティの作品。

ドイツの文豪トーマス・マンの小説の映画化で、1971年に制作された。

私が映画館で初めて観たのはその2、3年のちのことだろうが、最初から大きな衝撃を受けたことは、はっきり覚えている。

もともと、というか、それからもヴィスコンティの映画に大きな影響を受けてきた私だったので、この作品も幾度となく観たが、観ることにおける心の動きは時代とともに少しずつ、そして大きく変わってきたはずだ。

若いころにはヴィスコンティの持つ耽美性、背徳性。死、というものに対する憧憬に近い畏れに、ただただ引き込まれ、揺れ動かされてきていただけかもしれないが、歳月を経て、私自身老境に達したころになると、ヴィスコンティの描く人物に自分を重ね合わせて思うようになったのだ。

あのように生きたい。あのように死にたい。

そう思わせてくれた作品が、まさに『ベニスに死す』であった。

 

葉山に住むようになって、『ベニスに死す』はますます私に近づいてきた。

 

『ベニスに死す』と共にほとんどにひとが、そして多くのひとが幾度も見たに違いない映画について、そのストーリーなどを紹介すること自体、無意味で失礼なこととはわかっているので、みんなが承知の上であることを前提に話を進めよう。

 

『ベニスに死す』は、ドイツの老作曲家アッシェンバッハが、ひとり客船に乗り、アドリア海からベニス(ヴェネツィア)に入ってくるところから始まる。

冬でもない季節なのに、厚い外套に身をくるみ、ひざ掛けに深々と埋もれて、デッキの安楽椅子に寝そべっている。

その姿は恐るべき不機嫌さに覆われている。

この芸術家は、なにかに痛く傷つき、なにか深い悲しみを抱いている。

それがはっきりと伝わってくる冒頭のシーンであった。

ヴィスコンティの名演出、英国の名優ダーク・ボガードの名演技。

なんの説明がなくても、主人公の心が伝わってくる。

のちにわかることなのだが、このときのアッシェンバッハは、しばらく前に愛する妻に死に別れ、それと同時に親友でもあった同業者と、音楽のこと、芸術に対する心の持ち方について激しく口論し、闘い、心身ともにぐったり疲れていた。

その疲れを癒すために、あるいは心の傷から逃れるために、単身ベニスにやって来たのだった。

 

『ベニスに死す』と共にそして、先走っていってしまえば、このアッシェンバッハは、ベニス、リド島の浜で疫病に侵され、デッキチェア、安楽椅子に坐ったまま死んでいくのだが、それが老境を迎えていた私におおいなるシンパシーをもたらしたのであった。

 

葉山に来たころの私は、病に侵され、入退院を繰り返し、施設に入っても病院に運ばれるのを繰り返し、ついには生きる意志も意識もなく、ベッドの上で死を待つばかりの妻を、ただただ見守るしかないときを送っていた。

その妻が逝き、私は葉山の浜でひとりになった。

残されたのは、妻の面影と、十字架と、ふたりで飼った犬だけだった。

海に面した部屋で、誰にも会わず、誰とも話さず、妻の心と犬とだけ向き合って、生きていた。

部屋の小さなベランダに椅子を置き、犬を足元に、ビールなりワインなりを飲みながら海を見ていた。

夕陽を眺めていた。

そんなときの私は、まさにベニスのアッシェンバッハそのひとであった。

アッシェンバッハのように海を見ながら、アッシェンバッハのように死んでいく。

それがいちばん自然に思え、当然そうなるだろうと思っていた。

 

だが、そうならなかったのはある出会いだった。

 

『ベニスに死す』と共にアッシェンバッハは、リド島にひとつしかない高級ホテルのラウンジ、ダイニングでひと組の家族に出会う。

といっても、アッシェンバッハがただ見ているだけだが、ポーランドから遊びに来た貴族一家で、貴族夫人と4人の子供たち、そして夫人の姉と使用人だった。

アッシェンバッハは当初、その貴族夫人の美しさ、気高さ、優美さに目を奪われる。

私のように。

 

ひとりきりになり、みずからを「ひきこもり老人」と称していた私だが、犬の散歩に浜には出なければならない。

当時定期的に来てくれていたペットシッターと共に犬を引いて浜を歩き、誰とも話をせず、夏ならば海の家でビールを飲むくらいはしていたが、あとは部屋に帰ってひとり飲み続ける。

そんなときに出会ったのが、みゆきだった。

大きなシェパード犬を連れたみゆきと幾度かすれ違い、

「シェパードですか」

「ミックスなんですよ」

『ベニスに死す』と共にあとで聞くと、ほとんどのひとがその言葉で話しかけてきたという。

この綺麗なひとと知り合いになりたがっている。そんなひとたちと一緒に思われていたのかと、かなり落ち込んだが、みゆきによれば私だけは特別だったという。

のちに出たFMでもみゆきが話したことだが、

「あのころのテリーは、すっと背が高くて、少し寂しそうで、誰とも群れないで、孤高っていう感じでした」

だそうだ。

「七つの海を渡って来た船長さんのようなひとで」

ずっとあとになって、

「このひとなら、わたしの手を引いて世界を歩いてくれる」

そう思うようになったという。

 

『ベニスに死す』と共にやがてみゆきと私は、海の家「ノアノア」で、そして海辺のカフェ「エスメラルダ」のテラスで語り合うようになったが、その初めのころの会話はやはり『ベニスに死す』だった。

いやその前に、「エスメラルダ」の店名から、私がビクトル・ユゴーの「ノートルダム・ド・パリ」の、

「醜い鐘つき男のカジモドが思い寄せるジプシー女が、エスメラルダというんですよ」

などと話し、そこから『ベニスに死す』の話になり、

「あのダーク・ボガードがベニスにやってきた船が「エスメラルダ」号なんですね」

と続いたのだが、その数日後にみゆきがいった。

「映画で、主人公が心を奪われる美少年が、ピアノで「エリーゼのために」をぽろんぽろんと弾くでしょう。

それを聴いて、奥さんが亡くなったあとに、高級な娼婦の館に行って客になろうとしたときことを思い出します。そのとき娼婦が弾いたのも「エリーゼのために」でした。

あの綺麗な娼婦の名前、覚えてます? エスメラルダ、ですよ」

 

『ベニスに死す』と共に浜で出会ったころのみゆきを、私は、

「イタリア映画に出てくる女性のようだ」

と思い、書いた。

イタリア映画とは『ベニスに死す』であった。

 

ポーランドの貴族夫人。その名前は映画では紹介されない。ヴィスコンティの映画には欠かせない名女優シルヴァーナ・マンガーノ。

彼女が白いパラソルをさして、リド島の浜に現れるシーンは、みゆきの登場と合わせて、私の心から永遠に消えない。

 

『ベニスに死す』と共にみゆきが古いアルバムから、モデル時代に撮った1枚の写真を出して見せたのは、最近のことだ。

大型客船のデッキチェアに、みゆきが、少し怒ったような顔で坐っている。

それを見て、私はあのころの直感が間違いでなかったことを確信した。

これは、まさに「イタリア映画のシーン」ではないか。

シルヴァーナ・マンガーノではないか。

 

映画では、アッシェンバッハは美少年ビヨルン・アンドレセンに惹かれ、少年を見ながら死んでいくのだが、私はシルヴァーナ・マンガーノ、いや、みゆきを見て死ぬ。

 

いや、死にはしない。

このみゆきという女性は、私のためにいる。

私は、みゆきのためにいる。

 

77歳、喜寿を迎えた私が、すっかり生き方、いや、死に方を変えて、あと10年、20年は生きてやろうか、という無謀なことをいい出したのだ。

みゆきとふたりなら、それもできそうな気がする。

 

『ベニスに死す』と共に映画 『ベニスに死す』の音楽は、グスタフ・マーラーの交響曲5番、第4楽章アダージェット。

私たちがFMに出演して、自分たちの心の軌跡を語るとき、その話の底にマーラーが流れていた。

そして、今夜のことだ。

みゆきがピアノに向かい、

「聴いて」

弾き始めた。

マーラーのアダージェット、であった。

 

『ベニスに死す』は、永遠に私とみゆきの心に生き続けている。

 

 


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