サロンコンサートの幸せ

 

サロンコンサートの幸せそれは、小さな、小さなコンサートのはずだった。

冬に入ってしばらくした土曜日の昼間、私たちのマンションにあるレストラン「ラ・プラージュ」で、ひとつのコンサートが開かれた。

 

シーサイドサロンコンサート

 

そう。

覚えているだろうか。

もう遠い過去になった夏のこと。

私たちのマンションでは、理事会が主催する、オーナーのためのバーベキューパーティーが催された。

リゾートマンションのため、普段はあまり顔を見せることのないオーナーとその家族たちが、暑い中集まり、管理人のYさんやオーナー夫人たちがキッチンに立って準備し、近くの旭屋肉店で購入した高級肉を、男たちが焼く。

ほとんどが高齢者の集まりだったが、誰もが子供のようにはしゃぎ、笑い、楽しいひとときを過ごす。

サロンコンサートの幸せみゆきも、今年から晴れてオーナー夫人なので、奥さんたちに交じって野菜を切り、食器を配り、甲斐甲斐しく立ち働いていた。

そんなみゆきに、緊張感と共に幸せ感も感じて、見ている私もうれしい気分になる。

そうして始まったバーベキューは、ぎこちなさなどなく最初から盛り上がり、団欒のときへと移っていったのだが、やがていくつかのグループに別れて、それぞれに笑いに満ちた輪ができ上がっていく。

私がほかのグループに移ると、

「わたしをひとりにしないで」

などと笑顔でいっていたみゆきも、そのうちひとつのテーブルに落ち着いた。

そのグループこそが、今回のコンサートの発案者たちであり、企画の推進者たちであり、主役たちであった。

オーナーのひとりの鈴木直子さんは、アマチュアながらピアニストであり、このマンションのイベントに音楽というものがひとつもない。そのことにかねてから不満を抱いていたひと。

そこにみゆきが加わって、それならわたしたちが音楽の素晴らしさを持ってきましょう。

ここに、音楽の花を咲かせましょう。

そして、

コンサートを開きましょう。

ということになったのだ。

あっという間の、企画成立。

それがいま、女性ふたりの情熱が、ここに実った。

 

最初は控えめな話だった。

オーナーのひとりで、世話好きなM夫妻が、女性ふたりに代わって理事会や管理会社に掛け合い、説得し、そして今年からの理事長、Aさんが女性だったことも幸いし、企画はゆっくりながら確実に実っていったのだった。

 

サロンコンサートの幸せしかし、しかしながら、だ。

始めは、ささやかな企画であった。

オーナーたちの忘年会を開くその昼間に行うとしたものの、果たして幾人のオーナーが来てくれるか。

忘年会の通知と一緒に管理会社が送った案内に、コンサートにも出席したいとする返事は、家族も含めて、14人。のちに少し増えたが、20人には及ばなかった。

みゆきたちはがっかりしたが、サロンコンサートとしては、そのくらいがアットホームでいいのではないかと、半ば諦めてはいた。

だが、やはりもの足りない。

忘年会とは切り離して、コンサートだけのひとたちをお呼びしてはどうかしら。

ということで、それぞれが自分の友人や音楽仲間、普段から応援してくれているひとたちにも声をかけ、メールをすることにした。

ひと集めになるとみゆきの右に出るひとはいないだろうと思っていたが、鈴木直子さんも、ソプラノ歌手として参加する笠原身奈子さんも決して負けてはいない。

そして当日。

 

サロンコンサートの幸せ精一杯詰め込んで30人と少しかなという会場に、50人近く集まってくれることになったというので、会場設営は大童。

立ち席ではなく、それぞれのテーブルでお茶とケーキという設定なので、レストランからも椅子を借り、いかに効率よく並べるかに苦慮し、誰と誰を同席にするかにも頭を悩ませ、

「テリーも早く来ないと坐れないわよ」

と、ダンナを脅す。

この脅しは当を得ていたようだ。

自分の部屋からなので、たかをくくって10分前に顔を出してみると、なんと、なんと、狭い「ラ・プラージュ」は、もうぎっしり。

立錐の余地がないという表現がぴったり。

葉山がいかに文化的なところであるとはいっても、こうしたコンサートが目白押しというわけではない。

サロンコンサートの幸せそんな文化の香りを待っていたひとたちが、誘いを受けて喜んで駆けつけて来てくれたようだ。
みんな、到着順に適当なテーブルについている。みゆきたちが苦労して作った席順など、見事に無視されている。

だが、かえってそれでよかった。

それぞれが、それぞれの知り合いを見つけ、あるいは気の合いそうなひとを選び、同じテーブルを選んでいる。

そのため、開演前から和やかな空気に包まれていた。

私も、ピアノに近いいい席、主催者側の席、のはずだったが、そこにはほかのファミリーが坐っている。

困惑していると、壁際のベンチに並んで坐っているおじさんたち、マンションの理事たちが手を振って呼んでくれた。

やれやれ。

 

サロンコンサートは、いきなりピアノ演奏から始まった。

 

ダリオ・マリアネッリ   ジョージアーナ

 

ピアノはもちろん、佐山 みゆき イザベル。

 

サロンコンサートの幸せこの日、いや、この日もみゆきは美しかった。

限りなく美しかった。

会場の誰もが息をのんだ、といってもオヤバカではあるまい。

 

みゆきのピアノが美しく、爽やかに、数曲続き、客席が静かな喜びに包まれたころ、鈴木直子のピアノ伴奏による笠原身奈子のソプラノ歌曲。

清楚で、やさしいフランス語が、天使の舞いにも似て、客席の上を流れ、漂う。

 

サロンコンサートは、夢の中のように続き、広がっていった。

 

                 ○

 

サロンコンサートの幸せこのサロンコンサートの2週間ほど前にも、私たちは「ラ・プラージュ」にいた。

ほかの客のいないテーブルに向き合って坐り、「記念の食事」をとっていた。

「ラ・プラージュ」での食事には、こうした「記念」の要素が加わることが多い。

この日は、ふたつの「記念」を重ねている。

みゆきの誕生日。

そして、私たちの結婚1周年のアニヴァサリー。

思えば1年前、私たちは同じテーブルにいた。

みゆきの誕生日の席でもあったが、その日、私はみゆきの左薬指にゴールドの指輪を贈った。

あの夜、みゆきは涙ぐんでいた。

この夜も、みゆきの眼はゴールドの指輪のように輝いていた。

 

サロンコンサートの幸せアニヴァサリーは、もうひとつあった。

秋の終わりのよく晴れた昼間、私たちは北鎌倉の小さなフレンチレストランにいた。

 

マルカッサン・ドール

金色の子猪

 

子猪とは、いわゆるウリボウ。

そんな可愛い名前の可愛い店を、フランス帰りの夫婦がふたりで進めている。

色鮮やかな野菜を多用した南フランス料理は、私たちを懐かしい昔に誘ってくれたようだ。

「ラ・プラージュ」の地中海料理は、本格的で素晴らしいが、ここのウリボウは、さらにやさしい。

予約の電話を入れるとき、みゆきがいった。

「わたしたち、結婚記念日なんです」

そのせいで、ウリボウの白く大きな皿には、チョコレートでひとこと。

 

Felicitation

 

サロンコンサートの幸せその文字を最後まで残して、パンで拭って食べた。

ウリボウのあと、近くの明月院の境内を歩いた。

アジサイの季節以外に明月院に来るのは初めてで、あの季節の、雑踏に近い賑わいから遠く離れた名刹は、空気がキンと冷えて、軽いワインの酔いをなだめてくれる。

 

 

サロンコンサートは信じられない感動のうちに進んでいた。

まもなくプログラムが終わろうとしているころ、客席のひとりふたりが窓のブラインドを開いた。

そこには、夢のような世界が広がっていた。

正面いっぱいに、夕陽を浴びた海が明るく、眩しく輝き、その向こうのオレンジ色の空を背景に富士山がやさしく、凛々しくそびえている。

客席から、オーッ、と、声が漏れ、広がった。

ピアノを弾くみゆきの眼にも、その絵画のような景色は映っていたはずだ。

いくらか目を細めながらも、みゆきはゆったりとほほ笑んでいた。

 

サロンコンサートの幸せドビュッシー アラベスク

ドビュッシー 星の夜

そして、笠原身奈子、

北原白秋 近衛秀麿 ちんちん千鳥 

 

女性3人、並んであいさつ。

拍手は鳴りやまない。

拍手はますます高まる。

 

アンコール

ピアノで

サティ あなたが欲しい

ウィリアム・ボルコム 優雅な幽霊のラグ

ソプラノで

三木露風 山田耕作 赤とんぼ   

 

サロンコンサートの幸せコンサートは、未練たっぷりに終わった。

控室に入ったみゆきたちの代わりに、 私が婦人たちに囲まれた。

婦人たちは、口々に、

素晴らしかった。  

楽しかった。

うれしかった。

と、最高の笑顔でいってくれた。

喜んでくれた。

そして、

幸せでした。ありがとう。

といってくれたひともいた。

 

だが、思う。

この日、最高に幸せだったのは、みゆきたちではなかったろうか。

音楽とは、美しさとは、それを演じ、うたうひとをなによりも幸せにする。

そして、そのことがさらに、ひとびとを幸せにする。

 

私にも、幸せなひと年だった。

人生の終わりに巡って来た幸せだった。

来年も、続くだろうか。

 

サロンコンサートの幸せ

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