太陽の季節
葉山の静かな空
ゴールデンウイークがすぎてしまいましたねぇ。
皆様方におかれましては、楽しく過ごされましたか。どこかにお出かけしましたか。
ゴールデンウイーク中の湘南、特に葉山は大変な賑わいだった。
逗子から葉山に続くバス通りは、朝から夕方まで渋滞続き。
いつもなら15分もあれば余裕で行けるのに、この期間中は1時間近くかかることもあるらしい。
らしい、というのは、賢明な私たちはそんな渋滞の中、わざわざ出かけるような愚は犯さないから。
だから、なるべくなら外出は控え、みゆきのピアノを聴いたり、本を読んだり、テレビ映画を見たりしていたのだが、それでもプーリーの散歩や、ちょっとした買い物などで外に出なければならいこともある。
そんなときに、いかに大勢のひとが葉山に集まっているかが実感されるのだ。
海岸通り、つまりいまいったバス通りに面した、あるいはその近くのレストラン、カフェ、コーヒーショップ、甘いもの屋、さらにはそば屋、すし屋、とんかつ屋、定食屋にいたるまで店先には順番待ちの客たちの長蛇の列。
みんなおしゃべりをしながら根気よく並んでいる。
ほとんどが若い女性グループだが、中にはカップルも、家族連れもいる。
これには、逗子と東京を結ぶ京浜急行が利用客拡大を狙ったサービス「葉山女子旅」という企画で、葉山のいくつもの店と提携して、ランチ、お土産付きのチケットを販売しているためだが、それにしても、葉山の町がはちきれそうにも感じられるこの混雑はすごい。
私たちが毎日のように立ち寄るカフェレストラン「エスメラルダ」は、幸いにしてこの企画には参加していないが、それでもテラス席はいつ行っても満席。
無理に入れば、店のひとが無理やり席を作ってくれるが、そうまでして坐って、ランチタイムにコーヒー一杯で、犬の水も頂戴な、とはいいにくい。
だから、この期間「エスメラルダ」タイムは極端に少なかった。
ということなので、みゆきとプーリーとの、仲良しくっつき時間が多かったのだから、いいゴールデンウイークだったといえよう。
それもそうだろう。
これほど多くのひとたちが、そろって葉山に向かってくるときに、私たちはその葉山に住んでいる「葉山びと」なのだ。
いいねぇ。この鼻持ちならないエリート意識。
近所の散歩以外どこにも行かなかった、とはいっても、たった2回だけは、私たちもお出かけした。
それも、1回はゴールデンウイークが始まる前に、逗子の奥にある池子という地区の米軍キャンプが年に一度開催する地域住民サービスの「Ikego Friendship Day」。つまり大きな野外祭り。壮大なバーベキュー・パーティのような催し物。
そしてもうひとつが、ゴールデンウイークの終わりも終わり、最終日の6日に、葉山の御用邸近くのしおさい公園の中にある「一景庵」という、由緒正しく、格式も高い茶室でのお茶会。
だがこれは同じ時期に葉山各所で行われていた「葉山芸術祭」の企画のひとつで、参加するのはほとんどが葉山に住む画家、音楽家、デザイナー、文筆家など、芸術関係に携わるひとたちなので、ゴールデンウイークの観光客たちとは無縁といえる。
「Ikego Friendship Day」。
めったに行くことのない池子地区。
かつては日本軍が弾薬庫として使っていた広大な敷地を、米軍が軍属と家族たちの生活、保養施設として作り直した場所。
この「フェスト」は広い総合グラウンドで行われたが、ほかに野球場、テニスコート、フットボールグラウンド、ボーリング場などもあるそうだし、背後には多くの米軍住宅が立ち並んでいるというが、もちろん立ち入り禁止。
総合グラウンドには明るい、明るすぎる、眩しい、眩しすぎる陽光がこれでもかと降り注いでいた。
一方には広いステージが作られていて、私たちが入ったときには若い軍人らしい男の、シャウトするボーカルに、日本人も交えたロックグループが大音声を響かせていた。
グラウンドを取り囲んで、いくつものテントが立ち並び、それぞれがTシャツ、キャップ、ぬいぐるみ等を売っていたが、やはり人気は食べ物のテント。
なんと、たこ焼き、焼きそば、アイスにタイ焼きなどもあるが、なんといっても人気は本場の「Original Navy Burger」。
特になんとかバーガーなるハンバーガーは、ここでしか食べられないという触れ込みがあったせいか、葉山のレストランをしのぐ行列だった。
私たちもその列に並ぼうとしたが、なにしろ長い。
この炎天下、高齢者にはきついだろうとの自己規制が働いて、そのなんとかバーガーの隣の「Pork BBQ Ribs」に変更。
これなら待たずに買える。
テントの中に黒人の肥った女性がいるので、
「One Pork BBQ Ribs,please」
と頼むと、中で肉を焼いているメキシカンらしい男に、
「ハーイ、コチラノオトーサンニ、ポークリブ、ヒトツネ」
ドーモアリガトー、サンキューベルマッチ、だよ。
このPork BBQ Ribsのボックスに、みゆきはアイスティ、私は冷たいミラーライトを手にして、グラウンドの中ほど、ロックのステージが真正面に見える屋根なし席に。
早速、メシダ、メシダ!
このポークリブ、テントでは長さ15センチほどの肉が1本ずつ並んでいたので、
「ふたつにする? 多いかな」
「足りなかったら、ほかのものを買えばいいじゃん」
などと語り合って、「One」と注文したのだが、細長テーブルについてボックスを開けてみると、肉の棒がなんと4本も入っているではないか!
ふたつにしなくて本当によかった。
肉にはソースがたっぷり絡みついているので、ふたりのティッシュペーパー、ハンカチを総動員して、口の周りを拭きふき、指を舐めなめ、なりふり構わずむしゃぶりつく。
私たちのそんなようすを横で見ていた、物静かな親子3人。
堪りかねたのか、
「すみません。それ、どこで売っているんですか?」
みゆきが「Pork BBQ Ribs」のテントを指さして、
「ひとつで充分ですよ」
教えると、隣の「オトーサン」、急いで買いに走る。
そして、買って帰ってきて食べ始めるのを見ると、その家族、それぞれがプラスティックのナイフとフォークで静かにお食べになっているではないか。
でもさ、われわれの食べ方もアリだよね。
池子の空は限りなく晴れ上がり、いくつかのカイトが高く高く空に舞い、強い日差しが照り続ける。
キャップを被っていても、私の頬が赤く焼けているのが感じられる。
みゆきは、といえば、ノーキャップ、ノースリーブ。
あとは知らないよ。
Pork BBQ Ribsを食べ終わり、さらにみゆきが買ってきたブラウニーを少しつまんで、延々と続くステージに遠くから声をかけ、手を振り、すっかりいい気持になって帰るころには、私は少しふらふら。
「帰りの運転、頼むね」
「ビールを3本も飲むからですよ」
「はいはい」
「Ikego Friendship Day」は、私たちふたりにとって、実に久しぶりのアメリカ再体験。童心には還らなかったにしても、充分に若返ったひとときではありました。
この「Ikego Friendship Day」の2週間余りのちの、しおさい公園「一景庵」での茶会は、打って変わった静けさ。
幽玄、優美、幻想。
一般的な、趣味人、教養人、奥さま、ご主人さまたちがひっそりと集い、上品な社交の場となる、いわゆる「お茶会」とはいくらか違って、
葉山アート茶会『宙』
と名付けられるこれは、葉山芸術祭の中のひとつの、そして静かに異彩を放つ集いといえる。
「宙」と書いて「そら」と読むように、この茶会の大きなテーマは、空。
この茶会の主催者というか、キュレーターの美術評論家、清水敏男さんは語っている。
「葉山は、空が美しい。海の上の空、緑の上の空、特に日没時の空の美しさは筆舌に尽くし難い。
遠くに富士を望む大空は刻々と色彩を変え、雲を燃えたぎらせながら海の彼方に太陽が沈んでいく。葉山の空の美しさは宇宙の美しさとつながっている。」
この言葉にあるように、茶会に用意された多くの品々、そのひとつひとつが類まれな芸術品ともいえる。
そのいくつかを紹介してみよう。
茶室に入る前に、数人の参加者が集まって待つ「待合」の「床」のかけられている掛け軸は、地元葉山の音楽家でもあり画家でもある
真砂秀朗作 「みずけしき」
日本画の掛け軸にフランスのロココ絵画を思わせる淡いブルーの一刷が、さーっと描かれている。
公園の木立の中の、さらに「待合」室内の澄んだ気配にあって、夏の明け方の遠い空を感じさせてくれる。
その横に飾られた、「季節の花」は、大出真理子の手によるもので、流れるような形状の花器は、
イワタルリ作 「葉山上昇気流」
「待合」から渡り石に沿って歩み、小さな「にじりぐち」をくぐって入る茶室で、最初に眺める「床」には、茶会の景色には合いそうもない、色彩鮮やかな西洋画の油彩。
MARIAはるな作 「プシケとアモール」
この文でも一度紹介したいつも夢を見ているような、イタリアなどに学んだ画家、はるなさんの見慣れた感覚の一葉が、そこにあった。
違和感はない。
かえって「アート茶会」という催しに溶け込むかに、静かに花開いている。
この場の花器、花入れは,同じイワタルリさんの、
イワタルリ作 「葉山積乱雲」
激しい上昇気流で姿をダイナミックに変えたさまがそこにある。
こうして、モダンアートとのマリアージュともいえる茶会は、それでも古式ゆかしい作法に則って静々と、型通りに始まり、続けられたが、私は隣のひとの見様見真似。みゆきの小声の指示のまま。
膝だけは許可を得て崩させてもらった。
まず、葉山の空の写真が描かれた皿に、よく見ると空を飛ぶ鳥、鳩形をした砂糖菓子。
ひとつずつ懐紙にとって口に運ぶ。
爽やかな酸味と共に、溶ける甘さが広がる。
菓子器 後藤正治作 「葉山上空 凱風」
菓子 鳥海勝シェフ作 「羽根」
お茶に入り、回されてきた茶碗は、
三輪華子作 「パリの空」
パリのサンジェルマン・デ・プレ近くに窯を持ち。フランスの土を用いて焼いたという茶碗は、中から外から夕空のきれいさ、寂しさが伝わる。
全員お茶をいただき、キュレーター清水さんの、それぞれ、香合、風炉釜、水指、茶杓などの説明を受け、丁寧にお礼を述べ、入ってきた逆に躙り口をお尻から出て、私たちは「竹灯り」のはかなげな光の漂う公園を抜け、多くを語らず家路についた。
語る必要もない。
ふたりの心は、豊かに静かに満たされていた。