「令和」初の
楽しい音楽会
ながらくのご無沙汰でした。
前回は、確か一月下旬、みゆきが通っているお茶の席の初釜に私も招かれ、しかも形だけとはいえ、正客という大それた役目まで務めさせてもらい、それを自慢気に披露したものだった。
その後、次を書かなければ、とは思いながらもなかなか書かなかったわけは、前回のお茶会の帰途、偶然にも葉山の御用邸にお越しになる天皇、皇后両陛下のお車の先を走る形になり、畏れ多さに横道に逸れて車を停め、沿道のひとたちの中に交じって日の丸の小旗を振ったこと。
そして、皇后陛下がみゆきをご覧になって微笑んでくださった、という大感激なときもあり、そのあとみゆきとふたりで森戸の浜をそぞろ歩き、みゆきの華やかな和服姿を葉山中に自慢げに、お披露目したものだった。
「わたしたちも両陛下のようにいつまでも仲のいい、素敵なふたりでいたいわね」
と、みゆきが少女のように頬を染めて語るのも、私にも最高の喜びであった。
そんなときの記憶、感激があまりにも大きすぎたので、そののちも、書こうかな、と思っても、あれに較べればこんな話、小さすぎる、という自主規制が働いて、なんとなくいまに至ってしまった。
というのは、もちろんいいわけに過ぎないが、真実でもある。
あの感動をくださった両陛下は、もちろん平成天皇であって、いまはすでに令和天皇、令和皇后へと御代替わりされているが、平成天皇、皇后の、あの一瞬のお姿は、いまも私たちの心から消えることも薄れることもない。
平成のおしまいが、かくも素晴らしいものだっただけに、令和の初めに書く文、書く私に、大きなプレッシャーがかかってきて、さらには大きなできごともなく、それに、ウイーンフィルを中心としたオーケストラの全国ツアーに通訳、アテンダントとして同行するという例年の大仕事で、みゆきが体調を崩してしまったこともあり、この文章は必然的に長いお休みを続けてしまったのだ。
そして、もしかしたらこのまま書くこともなく過ぎていくかもしれない。それでもいいかな。
そう思ってもいた。
そんなときに、
堀米ゆず子 ヴァイオリン・リサイタル
二年間の中断を経て昨年から葉山町と町の芸術家ボランティアグループが中心になり、さまざまな高名な芸術家、音楽家を招いて行われているコンサート、リサイタル。
私たちもこの会員に加わっていて、毎回チケットを入手することができる。
葉山の福祉文化会館で開催されるこの、
はやま「午後の音楽会」
に、堀米ゆず子が来てくれるというのを聞き、当然大いに楽しみにして待っていた私たちだが、直前になってみゆきはべそをかくようにいうのだった。
「わたし、身体がよくなってない。お願い。テリーだけ行って。いって、あとで素晴らしさを教えて」
と、ちょうど母の日の午後だった。
素晴らしい快晴のもと、文化会館は多くの年配者の男女で賑わっていた。
クラシック音楽に慣れ親しみ、クラシック音楽を愛するひとたち。
葉山以外ではちょっと見られない、優雅で、気品があり、物静かなひとたちの群れ。
みんな、葉山のどこかでお会いしたような方々だ。
会場前のロビーで、群れの隅に立って待つ私に、顔見知りのひとたちが次々と挨拶に寄ってくれる。
みんな、軽い世間話に続いて、
「今日、奥さまは?」
「みゆきさんはご一緒ではないんですか」
そう。皆さん、私がひとりでいることが不思議でしょうがない、といった感じなのだ。
こうした集まりには必ずみゆきと一緒の、というか、みゆきに連れられて出かけている私なので、「ひとりのテリーさん」は極めてレアケースなのです。
ふたりでいるときも、たくさんのひとたちが話しかけてくれ、挨拶してくれるのだが、そんなとき私は、返事も挨拶も全部みゆきに任せて、側に立っているだけ。
ひとには得手不得手があるし、好きこそものの上手なり、ともいうではないか。
みゆきが好きなことに、私が出張ることはない。
葉山町の山梨町長も挨拶に来てくれた。
開演時間が来て明るくなったステージに、若いピアニスト、津田裕也を従えて現れた堀米ゆず子は、さすがに世界を股に掛けたベテランらしく、さりげない衣装ながら貫禄十分。
ほとんど愛想もなく、いきなり演奏は始まった。
モーツアルト ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 作品18
聴きなれた旋律が流れる。
うわーっ、というような気配が客席に広がる。
曲のせいもあるのだが、堀米ゆず子のヴァイオリンには、静かに語りかけるようなやさしさや、心をくすぐる微笑みもない。ない、というより、少ない。
その代わり、ぐいぐいと迫り、聴くひとの心をつかむ強さがある。
男性的、と表現したらいいような迫力だが、それだけ自信と技術に満ちているのだろう。
桐朋学園のヴァイオリンといえば、うまいのだが無難。間違いはないがお澄まし。
そんな、第二の芸大、的なイメージを持っていたが、それが一曲で覆された。
大学ののち、世界を舞台に、数多くの巨匠、名匠に師事し、闘い、競い合って、多くの名ピアニスト、名オーケストラと和してきた堀米ゆず子の歴史が伝わって来る。
堀米ゆず子のこの自信と男勝りな演奏は、選曲にも感じられる。
第二部に入って初めの曲は、
パガニーニ(シューマン編) カプリース 第4、5、9番
パガニーニといえば、いうまでもなくヴァイオリンの超絶技術の持ち主で、世に知れた作曲家の作品など、いともあっさりと弾きこなしてしまい、つまらないので自分向きの、自分にしか弾きこなせないような難曲をいくつも発表した異色の天才音楽家。
そのパガニーニを、愛好家とはいえプロフェッショナルではない、一般の客の前で、難しそうでもなく弾いてみせる。
皮肉ないい方をすれば、ちょっと堀米ゆず子のドヤ顔が感じられるような、楽しい選曲ではあった。
こういうの、好きだなぁ。
皮肉といえば、そして私好みといえば、次の曲が、
サン=サーンス 序奏とロンド・カプリチオーソ 作品28
プログラムを見たとき、やったね、という感じだった。
サン=サーンスは、私の最も好きな作曲家のひとり。
もちろん『サムソンとデライラ(デリラ)』、『動物たちの謝肉祭』など、広く知られた傑作も多く書いているが、私が好きなのはサン=サーンスの性格というか、人柄というか、あるいは生き方というか。
ご存じのひとも多いだろうが、サン=サーンスは、夥しい曲を残していても、その半分とはいわないが、駄作。
駄作というよりは、世間、音楽家たちの評価が驚くほど低かったのだ。
ここにサン=サーンスの生きざまがある。
サン=サーンスは、自分に才能がありすぎて、ほかの作曲家の曲が下手に聴こえて仕方がない。
俺ならこう書くよ。
というかのように、その作曲家の曲のそっくり曲を作ってしまう。
つまり、手直ししてしまう。
直された曲は、原曲よりいい。いい場合が多かった。
たとえば、コロッケが美川憲一の真似をして歌い、美川憲一よりうまい。面白い。
当然、美川憲一ではない、真似された作曲家は怒る。
したがってサン=サーンスの評価はがた落ち。
というわけだが、そんな評価の中、『白鳥』のような素晴らしく綺麗な名曲を、あっさり書いてくれたりする。
きみたちも、この程度のものは書きなさい、というように。
好きだなぁ、このおじさん。
ちなみにこの『白鳥』が収められている『動物たちの謝肉祭』組曲には、『堂々たるライオンの行進』、『らば』、『亀』、『カンガルー』といった曲があるが、中に『ピアニスト』、『化石』という曲もあり、聴いてみてもどこがいいのかわからない。
わからないように書いているのだ。
当時売れっ子だったあるピアニストに、さらには、化石のような存在になっていたある大作曲家に、この曲は贈られているのであります。
あなたたちは、この程度のものですよ。
なん回もいうけれど、好きだなぁ、このひと。
このような選曲で、堀米ゆず子は私たちになにを伝えたかったのか。
あるいはただ、自分の好きな曲を、好きなように弾いただけだったか。
リサイタルの帰途、私はハンドルを握ってひとりにこにこしていた。
この話、みゆきにぜひ伝えなければならない。
みゆきならわかってくれるだろう。
あるいは、
「バカねぇ。テリーの考え過ぎよ」
というだろうか。
令和の第一弾。
こんな形になってしまった。
このような、非常に個人的な、間違っているかもしれない文章なら、これからもお送りできるかもしれない。
令和が、静かで、穏やかで、さりげない時代でありますように。