スーちゃん介護の年末年始
疾風怒濤の年末年始だった。
あまりにも「疾風怒濤」だったため、時系列的に正確な記憶が途切れているほど、それは私たちを激しく振り回した。
だから、これから書くことは、日時も順番も間違いだらけかもしれないが、基本的に私たちが受けた、感じた、いわゆる「疾風怒濤」さには変わりない。
それほどに、大きな出来事だった。
みゆきの、というより、いまは私たちふたりの愛犬といえるシェパード犬のストライプ、スーちゃんがついにダウンしてしまったのだ。
もう十四歳。もともと足腰が弱く、海岸を散歩させていても、半年ほど前から、突然砂浜に坐りこんで、もう歩きたくない信号を送ってみゆきを困らせたり、「エスメラルダ」の小さな階段を登り切れずにタイルの上に崩れこんだりしてはいた。
毎日のようにその姿を見て、私も、自らの老いと重ね合わせ、少し厳粛な気分になったり、こうなる前のスーちゃんや自分たちを思ってため息をついたりした。
みゆきがスーちゃんの、私がプーリーの、ときにはもう一頭のドゥージーのリードを引いて、並んで森戸の海岸を歩く姿は、多くのひとに見られ、語られ、それを私が一冊の本にまとめ、それもまた話題になったほど、私たちの姿は、われながらカッコイイものだったはずだ。
あの本を読んで、わざわざではなかろうが、浜を歩いて私たちを見かけ、
「ああ、このワンちゃんたちですね」
と、頷いてくれたひともいた。
それほどに格好良かったスーちゃんが、普通には歩けなくなった。
私たちの気持ちに暗い影を落とす日々ではあったが、それでも一緒に浜に出たい。「エスメラルダ」のテラス席にスーちゃんと一緒に坐りたい。
そう考えて、みゆきはスーちゃんをなんとか車のリアシートに乗せて、私のマンションの駐車場まで来る。
駐車場からは、浜も「エスメラルダ」も近い。スーちゃんもなんとか歩くことができる。
そうして私たちは、「スーちゃんと一緒の散歩」をこなしていたのだが、それさえも不可能になってしまったのだ。
まったく立ち上がることができない。
前脚にはまだ力が残っているので、なんとか立ち上がろうとするのだが、下半身が完全に麻痺していて持ち上がらない。
前脚でゴツゴツ、ガリガリ床を搔き、叩く姿が痛々しい。
スーちゃんは、屋内、室内でのトイレを知らないので、そのためには散歩に連れ出したり、比較的広い庭に出してやらなければならないのだが、30キロ近い巨体なので、みゆきひとりでも、私が加わっても、不可能な話だった。
そんなとき、ペットシッターの治美さんや、しばらく前に同様な老犬を、介護の末に亡くしたKさん、それにペットのマッサージの勉強をしたMさんたちが何度も何度も来てくれて、実に親切に、丁寧に助言、指導を与えてくれ、おむつの仕方、圧迫排尿といって、自力で排尿できない犬の下腹部、膀胱のあたりをマッサージするように押して排尿させる方法、テクニックなどをコーチ、レクチャー、実行してくれた。
本当に、浜の「イヌトモ」たちのありがたさ、やさしさに感謝、感謝だったのだが、だが、それでもスーちゃんの症状は進む一方だった。
「自分たちだけでなんとかするときではないようです」
治美さんに厳しい口調でそういわれて、獣医にしっかり診てもらうことにした。
といっても、抱いて、車に乗せて、獣医に連れていくことはできないので、まず私が獣医に赴き、症状の説明をして、タンカを借りて帰り、改めてスーちゃんを連れて行った。
近いとはいっても、タンカのまま歩いていく距離ではない。みゆきとふたりで、なんとかスーちゃんをタンカに乗せ、車に移し、やっとの思いで運び込んだ。
新しく診てもらう獣医は、てきぱきと診察してくれて、
「歩くことは、もう諦めてください」
「圧迫排尿には限度があります」
「排便も、おむつ任せではなく、飼い主さんが手助けしてください」
いくつものアドバイス、指示をくれ、排尿のためのカテーテルを挿入してくれ、体力を保つための錠剤も処方してくれた。
こうして、私たちはスーちゃんをタンカに乗せて帰宅したのだが、医師の処置がよかったのか、帰りの車の中でスーちゃんは気持ちよさそうにしていた。
十二月の終わりにしては暖かな午後だった。
スーちゃんも気持ちよさそうだし、このまま家に入れてしまうのは勿体ない。
そう考えて、スーちゃんを日当たりのいい庭に、タンカごと寝かせてみると、気のせいかうれしそうだ。私とみゆきも、スーちゃんと並んで冬の日差しを浴びて、
「大変な正月になりそうだね」
などといっていたが、その予感は、当たったのか、どうか。
疾風怒濤は、新年も続いていた。