もういくつ寝ると
新しい車が来たよ、とはしゃいで、自慢していたのは、みゆきの誕生日のころだったから、もう一か月余り前だ。
その間、ずっと更新しなかったのは、車遊びに忙しかったわけでも、いろいろなことが多すぎて手が回らなかったわけでもない。
ただ、季節外れの温かさがやって来たかと思えば、肌を刺す寒さに急変したりで、その対応についていけず、ついついパソコンに向かうのが億劫になっていたからにすぎない。
というのはもちろん言い訳であって、暑ければ暑い、寒ければ寒いと、なにかにつけ文句をいってさぼっている。
ま、隠居の身でもあり、悠々自適といえばそうかもしれないが、みゆきのこと、プーリーのこと、そして自分のこと。それだけのために老後を送っているのだから、それも、ま、いいか。
そう思っている私が、なぜいまになって急に更新する気になったのか、といえば、そりゃあなた、なんてったって年末ですよ。
年末くらいは、年寄りだって動くものです。
で、年末です。
いつの間にかクリスマスも終わり、あと数日でお正月。
平成、という年号も今年が最後。
それはそうとして、天皇誕生日の陛下のお言葉には泣かされましたな。
なんという重い、重い人生であらせられたか。
などてすめらぎは
ひととなりたまいしか
三島由紀夫の歌であるが、「ひと」になられた身の重みがひしひしと伝わってくる。
次のすめらぎご夫妻に、これほどのお覚悟があらせられるか。
それを拝見する余命があることを喜ぶべきか。
だが、どうであっても時代は動いている。
そうだね。
平成、平静が終わる。
ということは、戌年も終わる。
この場合、犬、と書くより、戌、のほうがぴったりするが、要は同じイヌ。ドッグでもシャンでもワンワンでも。あ、そうだ、狗、という書き方もあったな。
うちのプーリー。
間違いなく犬。
そう。プーリーの年も終わってしまう。
犬年だから、プーリーの年だから、といってなにか特別なことをした、なにかがあったということはないが、それでもひとつの区切りとして、改めてプーリーを見てみようという気にはなる。
しばらく前、正確には十二月十日、プーリーは九歳の誕生日を迎えた。
プーリーにとってはどうということのない日。
ドイツ製のドッグフード、鹿のレバーの干物を少しもらったが、これも飼い主の気まぐれでたまには食べているので、特別感はゼロだろう。
いつも通り、丸い身体をさらに丸くしてホットカーペットの上で寝ていた。
だが、九歳ねぇ。
プーリーは九年もの間、ずっと私の傍にいた。
最初はもうひとつ、ダックスフントのドゥージーも一緒だったが、ドゥージーが身体を悪くしてペットシッターの治美さんの家に引っ越してからは、プーリーにはますます私だけになった。
飼い犬とはおかしなものですね。
浜を散歩しているときや、エスメラルダなどで休んでいるときなど、多くのひとたちに撫でられたり、可愛いといわれたりし、プーリーも喜んではいるが、基本的には私しか見ていない。
私が見守っていると知るときだけ、安心して平和な顔をしている。
私以外のひと、犬には見向きもしない。
どうでもいい。関心すらない。
今年のある短い期間、私がみゆきと同じ屋根の下で暮らしたことがある。
みゆきが長年、アメリカ時代から一緒にいたシェパード犬のストライプ、スーちゃんがいなくなった寂しさや、結婚したのだから一緒に暮らそうとの思いもあって、「ミユキハウス」での同居。
プーリーのためのトイレを一階のキッチンと二階の寝室にセットしたし、フローリングの床で滑らないようにロール状のカーペットを敷き詰めた。
プーリーのためにそうしてくれるみゆきがうれしかった。ありがたかった。
みゆきは、プーリーを可愛がってくれた。
食事もプーリーの健康を考えて、ドッグフード選びから計量、時間帯まで気を使ってくれた。
私が、当時のスタンダードとして、二日酔いでふーっといっているときには、みゆきひとりで長い時間の散歩も引き受けてくれた。
ピアノのレッスンも、自分の練習もあり、フランス語の先生としての勉強もあり、主婦(!)としての忙しさも加わって、みゆきの忙しさは増すばかりだった。
そんなとき、プーリーが要領よくみゆきに甘えてくれればいいのだが、プーのやつ、まるで空気を読まない。
食事のときだけは、みゆきの側ですりすりするのだが、食べ終わるとまっすぐに私のもとに駆け寄り、膝に乗ったり隣で体を摺り寄せたり。
散歩でも、私が一緒に行かないと知ると、出たくないと頑張ってみゆきを困らせる。
やはり、別々の場所で暮らして、たまに、いや、しばしば一緒にいるのがいいのかな。
みゆきのために、私のために、そしてプーリーのために。
私たちがもとのように「ミユキハウス」と「テリーズバー」で暮らすようになったのは、もちろんほかにもいくつかの理由はあったにしても、プーリーの存在が大きかったのもまぎれのない事実であった。
もとの日常に戻り、戌年の後半は平和に進んできたが、そんなときみゆきがプーリーに新しいメッセージを送ってくれるようになった。
私宛に、というより「私気付」でプーリー宛になるのだろうが、いくつもの写真。
プーリーと同じような顔、同じような体型のフレンチブルドックの写真が、次々に送られてくる。
インスタグラムで「フレンチブルドッグ」を検索すると、たくさんの「フレブル」写真が現れる。
いわゆる「フレブル」愛好家、「フレブル」友の会、ファンクラブ。
そんなひとたちが、それぞれ自慢の愛「フレブル」写真を投稿。インスタにアップして、ご自由に使ってください、可愛い、可愛いといってください、なるSNS、ソーシャル・メディア。
そんな「フレブル」写真が世界中から集まってくる。世界中から、ですよ。
そして同時に、みゆきもプーリーの写真を世界中に発信している。世界中に、ですよ。
こうしたインスタの交流で、フレブルって可愛いね。うちのプーリーも可愛いでしょうと、世界に発信してくれているみゆき。
プーリーは、みゆきにもこうして愛されていて、幸せな老後を送っている。
いや、ある段階で早く年を取る大型犬と違って、中型犬はある程度の年齢からスピードが落ちるらしい。
十四歳で逝ったスーちゃんは、もう百十歳以上のご長寿だったが、九歳のプーリーは五十歳を少し過ぎたあたりだそうだ。
なんだ、私よりうんと若いじゃないか。
幸せな老後を送っているのは、私だった。
こうして一年が終わる。
来年もよろしく、というが、この年末から年始にかけて、私たちの日常に大きな変化が起こっている。
長年、京都のマンションでひとり暮らしをしていたみゆきの母、庸子が葉山に移ってきてくれた。
みゆきの母、そう、世界的な大ピアニスト、マックス・エッガーの未亡人。
私にとっては、なんと義母(!)に当たる女性。
私たちが呼び寄せたのではあるが、これで、「テリーズバー」、「ミユキハウス」、そして「ヨーコ(なんというのかな)フラット」の三拠点で、私たちの暮らしが始まったことになる。
この話は、年が明けてから。
いいお年を!