「没落貴族」の謎

10年あまり続けてきたこのページのタイトルを「湘南 没落貴族」と変えてから2回目になる。
前回は、やはりこのページの中から、テーマに合わせて推敲、編集し、一冊にまとめて刊行した「葉山 喜寿婚の浜」の紹介、宣伝、つまり「お知らせ」に終始したので、事実上今回が第1回ということになる。

 

なぜ「没落貴族」なのか。

もちろん私も、結婚したばかりの新妻、みゆきイザベルも、貴族ではないし、貴族の流れを引いているわけでもない。

もちろん没落もしていない。実は、没落しているのかな。

「没落貴族」は、単にイメージ、雰囲気から選んだ言葉に過ぎないのだ。

なんとなくいい感じではないか。こんなイメージの暮らしをしていたら、気分がいい。面白い。楽しい、のではないか。

そう思ったのです、ふたりとも。

 

「没落貴族」の謎 「没落貴族」に至るまでには、もうひとつ「湘南 高等遊民」というタイトルも考えた。

つまり、知性も教養もあり、感性にも恵まれていながら、ちゃんとした仕事にもつかず、親の資産で暮らし、趣味、道楽に生きているひとたちを指す、大正から昭和にかけての言葉で、これも私たちの感性をいい当てているようだ、と思ったのだが、考えてみるとこの「高等遊民」には、ときの風潮、世相に背を向ける、あるいは反旗を翻す「反体制」といった意味合いも含まれているようで、どうもそれでは私たちとは合わないなと、あえなくボツ、となったわけだ。

 

「没落貴族」と聞いて、あなたはどんなイメージを抱くだろうか。

NHKテレビで放映されている英国発の連続ドラマ「ダウントン・アビー」。

古い城に暮らす貴族一家と貴族仲間、執事、召使などの日常を、大真面目に、それでいて皮肉たっぷりに描くドラマだが、「没落貴族」からこのドラマに思い至ったひとは、なかなか鋭い。

私たちも、まさにこうした感覚で「没落貴族」をイメージしていた。

 

「没落貴族」は、英国の貴族に限る。

「没落する」「没落した」は、downfall だが、「没落貴族」に関しては、「破滅する」のruinを使ってruined peerとする。英語、というより英国語特有の表現だ。peer は「貴族」だが、「英国貴族」を指すのが一般的だ。

もちろんフランス語でも「没落貴族」noble ruine。

イタリア語でも famiglia decadutaという言葉はあるにはある。

しかし、フランス、イタリアの貴族を指すのではなく、彼らの感覚では英国の貴族について話すことが多いようだ。

 

「没落貴族」の謎 というわけで、テレビドラマのような英国貴族の連想から「没落貴族」のタイトルにしたのだが、さらにいえば、心の奥底に眠っている私たちのイメージは、英国ではなく、1本の古い映画から生まれたものだ。

ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』。

ドイツの文豪トーマス・マンの原作を、イタリア人のヴィスコンティが映画化したので、「没落貴族」からは遠く離れていそうだが、私たちの心では、これが見事に合致している。

私とみゆきの出会いは、映画『ベニスに死す』から始まったといっても過言ではない。

以前のこのページにも、新刊の「葉山 喜寿婚の浜」にも書いたことだが、大きなシェパード犬を連れて葉山の海岸を、長い髪を風になびかせて歩くみゆきは、『ベニスに死す』に優雅に登場するシルヴァーナ・マンガーノであったし、ベニスのリド島の浜の椅子に坐って、ひとり海を眺めていたダーク・ボガードは、長年介護してきた妻を失い、「孤独な老後」を送り始めていた私そのものだった。

それはまさしく、のちの「没落貴族」へと通じている。

そうしてお互いを意識するようになり、話し合い、ともに食し、ともに飲みし、私たちは確実に近づいていき、というのが「葉山 喜寿婚の浜」の内容だが、この『ベニスに死す』は私たちの原点でもあるので、いずれ改めて書くことになるだろうし、書き続けていくに違いない。

 

「没落貴族」の謎 結婚した、といっても、私たちの生活、日常は結婚前とさして変わっているものではない。

私は、御用邸近くに新築した家を売り払い、亡妻の未紗が入居していた施設に近い森戸海岸に、昔はホテルだったワンルームマンションを購入し、プーリーとドゥージーという2匹の小型犬と暮らしており、みゆきは、少し離れた場所に借りていた「ミユキハウス」と名付けた家に住み、そこで生徒を集めてピアノを教えたり、ドイツ語、フランス語の教師、通訳として出かけたりしている。

私たちは、朝夕の犬の散歩で、森戸海岸を並んで歩き、海沿いのカフェレストラン「エスメラルダ」で食事をし、夕刻ならビールかワイン。

そのほかに時間は、おたがい別々に過ごすが、「ミユキハウス」が「みゆき食堂」に替わり、みゆきの手料理の夕べになり、私の部屋が「テリーズ・バー」となり、映画などを観ながら、やはりワイン、ビール。冬は鍋、になったりする。

そのほか、「みゆき食堂」でランチしたり、どこかのレストランなどに出かけたり、と結局一緒にいるときが一番多いのだが、建前としては、原則、別暮らし。

結婚したことでなにが変わったかといえば、みゆきがそれほど頑張らなくてもいい。家賃や生活費の心配をしなくてもよくなったことくらいだろうか。

みゆきには、いつまでも綺麗でいて、素晴らしいピアノを弾いていてくれるだけでいいとは、私が常々いっていることであり、私の心からの願いでもあるのだ。

 

前回、つまり初回にも伝えたように、みゆきが昔から、あるいは葉山の4年間に親しくなった友人知人に、年に数回送っている近況メールがある。

その一部、自分たちのことが「葉山 喜寿婚の浜」という本になりましたよ、という弾んだ部分を紹介し、みゆきが、

「わたしたち、作家夫婦みたい」

と見当はずれな喜び方をしたことを書いたが、その同じメールに次の文章もある。

作家夫婦としてはちょっと、といえるものだが、

 

「没落貴族」の謎 『ところで、「テリーとわたしはこれから葉山で新婚旅行しま~す」と宣言してから、ずいぶんご無沙汰してしまいました。だって、新婚旅行というのはそういうものだから。ウフウフ。(このあたり、意味不明)

毎日、朝の海岸の散歩のあとはランチタイムまでお茶して、軽くサンドイッチなど食べ、じゃね~とそれぞれの家に戻り(ここだけは私たち流の新婚生活です)、4時になるとまた犬を連れて出て浜を歩き、そのままエスメラルダで夕方のお茶かワイン。夕食はみゆき食堂かテリー亭で。

そんな毎日がただただ楽しくて、朝起きると、今夜の献立を考え、買い物リストを作り、時間配分を考えて料理とピアノ練習していると、あっという間に1日が終わり、「おやすみ~」といってバタンキュー。あ、このバタンキューは、それぞれの家で犬と共に、なんですよ。』

 

ね。私たち、「没落貴族」らしいでしょう。

 

 

 


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