鮮やかな車を
薔薇に染めて    

鮮やかな車を薔薇に染めて新しいパートナーがやって来た。

というと、みゆきが目を剥いて文句をいいそうだが、なーに、みゆきも私のこの新しいパートナーを喜んでくれているのだから、流行りのいい方をすると「Win Win」の結果になっているということ。

持って回った表現をしなくても、写真をひと目見ればわかることなので、最初から素直にいえばいいことなのだが、そこが私のひねくれた性癖のせいで、お許しいただくとして、要するに、新しい車が届いたのだ。

正確にはGiallo Costa(Beach Yellow、海辺の黄色)という、淡く、そして鮮やかな黄色の、レーシングタイプのスポーツカー。

生産台数が非常に少ないこともあって、葉山に限らず、そん所そこらではなかなか見ることのできない色と形だ。

アルファロメオのミト(Mito)シリーズのひとつ、イモラ(Imola)ヴァージョン。

この車がやって来たいきさつについては、のちに記すとして、この車のおかげで、なんとなくジミーさんだったマンションの駐車場が、その一画だけでも、ぱっと華やいで見えるようになった。

マンションのオーナーたちや、一階にあるレストラン「ラ・プラージュ」の客たちも、駐車場の傍を通り抜けるとき、

「お!」

といった表情になるのが、いささか気分がいい。

 

鮮やかな車を薔薇に染めてしばらく前から、身体の超不調や、みゆきの真摯な願いのために、あれほど飲んでいた酒をやめた。

いまでこそ、医師とみゆきのやさしいお許しを得て、特別な食事の席などに、ワインを一、二杯ということもあるが、基本的には禁酒、節酒は続いている。

それと同時に、ストレッチ、筋トレのため、パーソナル・トレーニングのスポーツジムに通い、骨格矯正の整骨院にも定期的に訪れている。

そのため体調は、自分でも驚くほど快適だし、みゆきが見違えるほど筋力も付いてきたようだ。

あとでも書くが、やがてやってくるみゆきの誕生日に、

「プレゼント、なにが欲しい?」

と尋ねたとき、

「いっぱい貰っているから、いまはいいわ。なによりも、テリーの健康が、わたしにとって最高のプレゼントなの」

と、くすぐったくなるような言葉をいってくれたのが、私には最高の喜びでもあった。

 

健康になったことで、日々の生活の中になにやら積極性、活気のようなものも生まれてきたようで、これまでは、特に夏のあいだは暑さのせいもあって、なにをするのも、

「面倒くさい」

のひとことで済ませていたものが、自分からなにかのイベント、新規開店、などを見つけ、あるいはみゆきに誘われるままに出かけていくようになった。

人間って、いくつになっても変われるものなんだな。

数十年、人間観察を生業としてきた私が、自分でも驚くばかりの変容だったのだが、車を新しくする気になったのも、そうした変化のひとつなのかもしれない。

 

鮮やかな車を薔薇に染めてこれまで乗っていた軽自動車、スズキのハスラーは、赤と黒のそれなりにおしゃれで若々しい車ではあったが、私としては、やはり静かな、穏やかな、「老後の」車ではあった。

ずっと以前のエッセイに、

『ジャケットを替えるように車を替えてきた。』

と書いたことがあるが、その通り、二十歳でひどい中古のトヨタ・コロナを三万円で買って以来、途中四年間の免許停止期間を除いて、大体二年に一回、三年に一回は車を替えてきた。

日本車では、当時人気だったイスズ・ベレットを二台。

ドイツ車、アウディ二台を皮切りに、いわゆる世界の名車といわれる車を次々に替えた。

フィアットなど、イタリアの小型車を三台。

アメ車では、カマロにムスタング。

一年間の借り物だったが、ジャギュアFタイプ。

日本時代のおしまいはマセラッティ。これは格好良かった。

アメリカ時代にはなぜか、トヨタのランクルにセリカスポーツ。セカンドカーとして、BMWにVWゴルフ。

鮮やかな車を薔薇に染めてニューヨークでは、寒冷地仕様としてのランド・クルーザーだったが、これは駐車場で眠っている方が多かった。

日本に帰ってからも、最初の半年は、ある出版社からの無償レンタルの形でニッサン車に乗ってはいたが、すぐにそれでは落ち着かず、アルファロメオの147タイプからすぐに157タイプ。

やがてシトロエンはCタイプ。

BMWのミニから、たった一日で売り払ってしまったが、ジープのオープンを衝動買いしたこともあった。

そして行き着いたのが、軽自動車のハスラーだったのだが、このときになってようやく、私の「車遍歴」は終わった。

いや、終わったつもりだった。

というのは、約十年間に及んだ「介護生活」に終止符を打って、車どころか、私のすべての楽しみ、遊び、喜びが終わった、と思ったからだった。

これからは、車で遊ぶこともなく、新しい世界、ひと付き合い、楽しみも喜びもなく、ただ静かに、静かに、本を読み、音楽を聴き、美術を眺め、

「浜の老人」

「海辺の仙人」

のように、残り少しの人生を過ごしていこうと思っていた。

 

だが、私は変わった。

一番の理由は、みゆきとの出会いであったろう。

そして二番目が、幾度もいうように、この度の禁酒、節酒、であった。

 

鮮やかな車を薔薇に染めてある日、いつものようにスポーツジムに出かけたところ、

「あっ、一時間早いですよ」

この日に限り、トレーナーの都合で、いつもより一時間遅くしてほしいといわれていたのだった。

私もあっさり承知したのだが、それを忘れていた。

仕方なく、近くのスターバックスのオープンテラスに坐ったが、なにもすることがないので、道行くひとたち、通り過ぎる車たちをぼんやり眺めていた。

そして気づいたのは、葉山という街を行きかう車には、よその町、ほかの地方都市とは少し違う特徴があるのではないか、ということ。

といっても、よそについて詳しいわけではないが、例えば✕✕県○○市、▽▽町には、葉山のような車のラインナップは少ないのではないか。

さすが高級リゾートの町、などというつもりはないが、例えばVWのハッチバック、BMWのミニ、ルノーならKANGOO(カングー)、MEGANE(メガーヌ)といった、奥さんたちが乗っているせいでもあるかもしれないが、さりげなくおしゃれな車が多い。

もちろんメルセデスも走っているにはいるが、ずいぶんと少ないし、よその町ではたぶん主流になっているだろう、日本のハイブリッドカーなどは極端に少ない。

高級車が少ないというのではなく、例えば八王子市のように、地元の若者たちが得意げにふかして行きかうフィアット、ランボルギニー、アストン・マーティンなどが葉山に現れたら、浮いて、浮いて仕方がないに違いない。

そして、もうひとつの特徴として、葉山には軽自動車が多いこと。

鮮やかな車を薔薇に染めてよそでも軽は多いだろうが、葉山の軽には生活感、仕事感があまり感じられず、スーパーマーケットの行き返りかもしれないが、そこになにか優雅な「遊び感」が感じられるのだ。

それはそれで、とても素敵なことではあるのだが、新しく生まれ変わった感のある私まで、その「葉山感」に染まってしまっていいのだろうか。

ハスラーを購入したときのまま「終わった感」、「静かな葉山感」を抱き続けていいのだろうか。

そう思っていたときに、私は、

アルファロメオ・ミト・イモラ

に出会った。

 

スマートフォンを操作しながら、なんとなく面白い車、おしゃれな車、あまり見ない車を探していたとき、まるでなにか宿命のように私の目に飛び込んできたのが、

アルファロメオ・ミト・イモラ

だったのだ。

横浜のイタリア車専門の小さな展示場、つまり販売店にそれはあるという。

私は、約束のトレーニングを気もそぞろに終え、トレーニングウエアのまま車(軽自動車ハスラー)を走らせて、横浜へ。

電話を入れていたので「彼」は、小さな展示場で、ほかのイタリア車と一緒に私を待っていてくれた。

すぐ傍にも素晴らしいイタリア車があるにも関わらず、私の眼は「彼」に釘付けになった。

 

アルファロメオ・ミト・イモラ!

 

鮮やかな車を薔薇に染めて私は、大きく息を吸い込んで、大声でいった。

「これを、この車をください!」

展示場の責任者は、呆れたようにいうのだった。

「せめて、試乗くらいしてくださいよ」

 

アルファロメオ・ミト・イモラがやって来たのは、いくつかの手続きを終えた一週間のちのことであった。

前にも書いたように、私にとって三台目のアルファロメオだ。

147と157のふたつとも、シックでおしゃれで、愛すべき車だったが、今度のミト・イモラには、これまでのアルファロメオにはない魅力があった。

まず、その名称。

アルファロメ社は、いまはミラノに本社を置いているが、いうまでもなく、戦前にレーシングカーとして世に出た車。

戦後になって、もうひとつの超名車、ランチアと共に世界のおしゃれセレブに愛され、やがて生まれたフェラーリも肩を並べるスポーツタイプとなる。

そして、私が気に入ったのは、「神話」「伝説」を意味する単語「MITO」であり、さらに「IMOLA」。

鮮やかな車を薔薇に染めてイモラは、イタリア北部、エミリア・ロマーニャ州の小さな町だが、このエミリア・ロマーニャ州は、イタリアの中でも私が最も愛した場所なのだ。

ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィアといった観光名所ももちろん素晴らしいが、エミリア・ロマーニャ州にはそうした「世界の観光地」にはない、いかにもイタリアらしい魅力にあふれていて、数十回に及ぶイタリア旅行、滞在で、私が最も多く訪れたところでもある。

ボローニャ、ジェノヴァ、パルマ、ラヴェンナといった歴史に裏付けられた街も多く、小さな独立国サン・マリもここにある。

そんなところの町の名を冠するだけでも素晴らしいではないか。

と、かつての「イタリアかぶれ」を蘇らせてくれる、

アルファロメオ・ミト・イモラ

 

だが、車がやってきてからのいちばんの心配は、みゆきの反応だった。

「果たして喜んでくれるでしょうか」

と、『ビフォーアフター』の心境だったが、「急を聴いて」駆けつけたみゆきは、

「かっこいい!」

「素敵!」

「可愛い!」

そして、
「テリーに似合うわ!」

そして、この車でどこかに行こうね、という私に、

「わたし、なにを着ていこうかしら」

いつもの反応が返ってきた。

よかった、よかった。

 

鮮やかな車を薔薇に染めてそしてこのアルファロメオ・ミト・イモラには、みゆきを喜ばせる、もうひとつの工夫が施されているのだ。

購入すると決めたその日、
「ナンバーをお選びできますよ。お好きな数字をどうぞ」

といわれ、私はふたつのナンバーを選んだ。

2914

か、

1429
みゆきと私の誕生日。

私の、   6月29日

みゆきの、11月14日

 

結果として、2914、「ニクイヨ」になったのだが、その効果はすぐに表れた。

車が来てから数日で、みゆきの誕生日、2914、の、14、が来たのだ。

 

鮮やかな車を薔薇に染めてその日、私は両腕いっぱいの真紅のバラ(薔薇、と書きたい)を抱え、アルファロメオ・ミト・イモラ、プレートナンバー2914に乗って、「ミユキハウス」に迎えに行った。

昨年も一昨年もそうしたように、「テリーズバー」のマンションの一階にあるレストラン「ラ・プラージュ」で、ふたりきりのバースデー・ディナーを祝うことにしていた。

「歳の数だけ、薔薇を贈るよ」

と、実際よりはいくらか少ない数の薔薇を抱いたみゆきは、薔薇のように美しかった。


鮮やかな車を薔薇に染めて

 


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