誕生日のこと
みゆきの災難
梅雨も本格化して来たとはいえ、その日の夕刻は朝方からの雨も引き、いつものようにプーリーの散歩。
浜を歩いてもいいのだが、森戸海岸は建設中の海の家が建ち並んで、トラックの車輪が砂浜を荒れ地に替え、しかも雨に濡れた砂で歩きにくいことこの上ない。
プーリーのサイズでは、砂のクレーター、トレンチに深くはまってしまうほどだ。
だから、地元のひとが「内陸部」といっている住宅街の、アスファルトの道を歩き、そのあと「エスメラルダ」のテラスでひと休み。
これは、ここしばらくのルーティンともいえることで、「エスメラルダ」のテラス席、私とみゆき、そしてプーリーの指定席のようなテーブルに着いて、しばらくの時間を過ごす。
別に用事があるわけでも、誰かに会って話をするわけでもない。
その日によって、その日の気分によって違うが、ワインなりウィスキーの水割り、あるいはモヒートなどを二、三杯。
ここに「エスメラルダ」の気分だが、「まかない」と呼んでいる、軽い、それでもなかなかのおつまみというか、小料理というか、うれしい一品、二品が供される。
プーリーを膝に乗せ、小一時間。
このあと、部屋でプーリーに食事を与えてから出直して、「菊水亭」か、オープンして間もない近くのスペインパブで、改めて食事とワイン、となるか、そのまま部屋でなにかありものをチンして、あるいは湯煎して、軽く飲むか。
日によっては「エスメラルダ」も含めて、まったくのノーアルコール・デイということもある。
そんな毎日だが、自分でも改めて感じるのは、このところ酒量が大きく減ってきていること。
身体に気を使っているのではなく、飲みたくない。
以前は、みゆきと一緒に、自分でも呆れるほど飲んだし、次の日には前夜のことを覚えていないことも少なくなかったが、いまはその半分も飲んでいないだろう。
年齢的な衰えでしょうね。
それもいいものでもありますよ。
年齢の話のついでに続けると、この「エスメラルダ」のひととき。
この日は私の誕生日だった。
誕生日の夕刻、私はひとりで、プーリーだけを相手にワインを飲んでいたのだ。
もちろん「エスメラルダ」のオーナー、矢ケ崎さん、店長の麻実子さん、今年から加わった強力なスタッフ、小橋くんたちと軽い雑談はしたし、プーリーをなでなでしてもらったりもした。
だが、私は自分の誕生日であることはいわなかった。
もし、いったとしたら、彼らのことだから、
「わー、それはそれは、おめでとうございまーす」
ということで、シャンパンのコルクを飛ばしたり、特別な料理が出て来たり、大変なことになるかもしれない。
そんな気分にはなれなかったし、もうひとつ、彼らが必ずいうであろうひとことを避けたかったから、私は黙っていたのだ。
「みゆきさんはどうしてるんですか」
という言葉。
ここまで読んでくれたのだが、これから先しばらく、というか、ほとんどを削除しなければならなくなった。
このあと、みゆきがいくつものできごと、しなければならなかった用件、そして、思いがけないいくつかの病い、などで身体的、こころ的にストレスが積もり重なって、
『しばらくひとりで考えさせて。休ませて。』
と頼んできた。
私としては、みゆきの病のいくつか、ストレスの数々などよく理解できたし、その年齢の女性の身体と心の不安定さもわかったので、
「ゆっくり休んで、あの花のような笑顔を取り戻しておくれ」
と、いったのだが、この文章を更新して三日のちに、みゆきからいつものラインではなく(ラインはブロックされている)、メールが送られてきた。
次の内容であった。
「私の母や、仕事や暮らし振りや、事故や健康状態に関することをブログに書かれるのはプライバシーの侵害です。 今後一切書かないでください。 」
びっくりした。
よほど知られたくないプライバシーがあったのだろうか。
これまで、プライバシーをずいぶん書きてきた。プライバシー以外、書かなかったといってもいい。
そして、みゆきもそれを喜んで、楽しんで、自分でも周囲に広めていたはずなのに。
ついに、心まで傷つき、壊れてしまったのか。
可哀そうだとは思うが、ここまでいうのなら仕方がない。
削除しよう。
ただ、それであっても、私は、みゆきのあの「花のような」笑顔を、待っている。
私は、七十九歳になった。
もういいかな。
ふつかのち「エスメラルダ」が、小さなバースデーおつまみを出してくれた。